じじぃの「歴史・思想_307_ベラルーシ・日本と被爆国としての絆」

Urbex | nuclear exclusion zone in Belarus

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=S9XXVVm1rQE

Gomel, Belarus. Radioactivity warning signals

in the limits of the Polesie State Radioecological Reserve.

ベラルーシを知るための50章』

服部倫卓、越野剛/編著 明石書店 2017年発行

チェルノブイリ支援を通じた日本とベラルーシの絆――被爆国としての草の根支援 より

ベラルーシは1986年にウクライナ共和国で発生したチェルノブイリ原発事故の最大の被害国である。同国南部のゴメリ州を中心に大量の汚染物質が降り注ぎ、住民に健康被害を引き起こしたばかりか、農業、林業をはじめとする地方産業に甚大な被害を及ぼした。汚染物質の70%がベラルーシに降り注ぎ、その範囲は住民180万人が居住する国土の22%に及んだ。
放射能による影響は事故後30年になる現在でも払拭されておらず、地元住民は将来と健康に強い不安を抱えながら生活している。放射能は今後数十年にわたって残量すると言われ、健康被害は事故当時まだ生まれていなかった子や孫の代へと広がり続けている。
ソ連解体から25年以上がたち、経済は当初の混乱を脱し復興・発展に向かっているものの、医療分野に対しては十分な国家予算が割り当てられていないのが現状で、医療機材の老朽化は深刻な状態にある。現在も多くの人々が十分な治療が受けられないまま、その命を脅かされ続けている。
ベラルーシに対しては、日本のHGO・大学関係者を中心に民間レベルの支援活動が行なわれる一方、日本政府は草の根・人間の安全保障無償資金協力プロジェクトを活用し、放射能汚染を受けた地域に位置する病院に対し、医療機材の球よを実施している。2016年度までに39件、総額319万ドルの医療機材を給与した。
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経済苦や将来を悲観して、アルコール依存症や薬物依存症になる者も多く、子どもたちが両親に扶養能力がない社会的孤児になっている。また麻薬常習者やエイズ患者も増えてきている。死亡率も国全体を大きく上回る。
チェルノブイリから約70キロメートルにあるナロヴリャ地区(ゴメリ州南部)の人口は、かつての2.2万人から1.1万人(同)まで減少した。病院は中度汚染地域(5~15キュリー/平方キロメートル)にあるが、地区内には誰も住めず、廃村となった強度の汚染地域が存在する。地区住民の高齢化が進んでおり、罹病率が高い。扶養者を失った子供たちを病院が養っている。
ドブルシ(ゴメリ州南部)の人口も、事故前の5.6万人から3.7万人(同)に減少した。地区住民の健康状態は悪化しており、ガンの発症率は最近20年間で1000人あたり3.0から4.7、結核は0.7から0.9人に増加している。死亡率も13.1から21.6に悪化している。
ウクライナと国境を接し、チェルノブイリ原発に近いホイニキ地区。ここには強い放射能汚染のため立ち入り禁止になっている区域、通称「30キロメートルゾーン」が広がる。当局の許可を受けて入ると、廃墟となった家屋や崩壊しそうな建物がそのまま残り、それまでの光景は一変する。所々に廃村となった村の名前と強制移住させられた住民数、その日付が記された碑や看板が立てられ、そこに人が住んでいたことを記憶する。土壌や動植物の放射能汚染レベルは依然として高い。
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ドイツやイタリアを中心とする外国人の人道支援団体による医薬品、医療機材の支援が行なわれているが、どの病院も支援が十分に行き渡っているとは言えない。機材は基本的に揃っているものの、老朽化が進んでおり、多くの住民が十分な治療が受けられないままにある。超音波診断装置などの最新の検診機器があれば、住民の健康診断でガンを早期に発見することができ、治療を受けさせることができるが、老朽化した機材では正確かつ最新の診断を行うことは困難であり、新しい機材を購入する余力もない。
そうした地方病院の窮状を踏まえて、日本政府の「草の根支援」は実施されている。1病院あたり1000万円(約10万ドル)という上限のなかで、各病院の要請に基づいて、超音波診断装置や腹腔鏡、除細動器、内視鏡などの医療機材を給与している。診断・治療レベルの向上につながる医療機材給与は、住民レベルに直接裨益する支援として、当地において非常に高い評価を得ている。
ベラルーシに対しては欧米諸国がルカシェンコ大統領の強権体制を批判し交流を制限している。日本も交流や支援を事実上制限している。そうしたなかで。草の根・人間の安全保障無償資金協力はベラルーシへの唯一の支援スキームとなっている。
2011年に福島第一原発事故が起きると、日本に向けられる視線は一変した。支援する側から支援される側となったからだ。日本では、福島をきっかけに、チェルノブイリ原発事故の対応や教訓を学ぼうという動きが広がった。「今度は自分たちが支援する番」だとして、ベラルーシは、毎年夏に福島や宮城の子どもたちをベラルーシでの保養に正体するなどの支援を行なっている。