じじぃの「歴史・思想_291_現代ドイツ・メランコリアⅠ」

Decoding art: Durer's Melencolia I

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=z11pYvaLctY

デューラーの銅版画 「メランコリアⅠ」

Albrecht Dürer - Melencolia I (1514)

Durer ist 43 Jahre alt, als er 1514 das Blatt "Melencolia I" sticht.
Seit zwei Jahren arbeitet er auch im Auftrag Kaiser Maximilians I. Gemalde entstehen in den Jahren 1513/14 aufgrund der Inanspruchnahme durch die kaiserlichen Auftrage nicht, wohl aber freie Arbeiten: neben der "Melencolia" die mit dieser zu den Meisterstichen zusammengefassten Blatter "Ritter, Tod und Teufel" (1513) und "Hieronymus im Gehause" (1514). Da Durer die "Melencolia" und den "Hieronymus" oft zusammen verschenkt hat, und die drei Stiche nahezu gleiche Formate aufweisen (ca. 25 x 18 cm), hat man fruh an einen auch inhaltlichen Zusammenhang gedacht.
http://www.unterricht.kunstbrowser.de/theorie/interpretation/03c19899200b03c07/duerermelencolia.html

『現代ドイツを知るための67章【第3版】』

浜本隆志、高橋憲/編著 明石書店 2020年発行

ドイツ人のメランコリー――薄明(Dammerung)と沈思黙考 より

ドイツの冬はきびしくて長い。このような気候風土が精神面に大きな影響を与えるのはいうまでもない。ドイツ人は冬に耐え、陽光の降り注ぐ春を待ちわびる。しかしかれらは、逃れることができない冬の季節が生み出す薄暗い日の出や日没の黄昏の雰囲気を、むしろ安らぎに似たものと受け止めてきた。薄明(Dammerung)はドイツ人が好きな言葉の1つであり、かれらはそのなかで物思いに耽り、音楽に耳を傾ける。このような気候風土とかかわる性向は、ドイツにメランコリーの色調を帯びた芸術作品が多く生まれたことと無関係ではないだろう。
たとえば、音楽でいえばシューマンブラームス室内楽曲など、絵画ならフリードリヒの風景画などがそうである。文字の分野でも数多いが、ここでは邦訳があり日本でも比較的名の知れた作品をいくつか挙げることにしよう。ゲーテ『若きヴェルテルの悩み』(1774)、ノヴァーリス青い花』(1802)、ミューラー『冬の旅』(これにシューベルト1827年に曲をつけ、ドイツ・リートの代表曲となった)、ハイネ『歌の本』(1827)、シュトルム『みずうみ』(1849)、ゲルハルト・ハウプトマン『沈鐘』(1897)、ゲオルゲ『魂の四季』(1897)、トーマス・マン魔の山』(1924)など、これらの作品には、文学史でもよくいわれているように、ドイツ的「内面性」がさまざまなかたちで表出している。
とくに最後に挙げたトーマス・マンは、北ドイツのリューベック出身の20世紀の文豪だが、1945年5月に亡命先のアメリカで「ドイツとドイツ人」と題する講演をおこない、ドイツの「内面性」の歴史について語った。それは、ルターからロマン派、そしてヒトラーへの脈脈と息づいてきたものであり、「悲劇」ではなく、「メランコリックな歴史」だと主張したのである。
マンと同時代に生き、ナチスに追われた末に自死した批評家のベンヤミンは、マンとは別の文脈でメランコリーについて語り、みずからが土星、すなわちメランコリーをもたらす星のもとに生まれたと述べた。かた、かれはその主著『ドイツ悲劇の根源』(1928)の第3章をメランコリー論に充て、メランコリーとドイツ・バロック悲劇との結びつきについて論じている。
しかしドイツとメランコリーとのつながりについていうなら、ドイツ・ルネサンス美術の巨匠デューラーの銅版画「メランコリアⅠ」(1514)を忘れてはならない。この銅版画は先に挙げたベンヤミンのメランコリー論でも取り上げられているが、そこには有翼の女性、大工道具、はしご、秤、鐘、魔法陣、虹、彗星などが謎めいて描かれている。
この銅版画に注目したのは何もベンヤミンだけではない。詩人たちはこの銅版画に描かれたメランコリーを題材に詩作し、美術史家たちはその意味を探り続けた。謎がたえず人びとを惹きつけたからである。その美術史家のうちでも傑出した研究を発表したのは、図像解釈学の大家パノフスキーである。かれはクリバンスキー、ザクスルという優れた仲間とともに、デューラーの銅版画に描かれた図像を解釈するため、ギリシャ古代からルネサンスに至るまでの長きにわたるメランコリーの歴史をたどり、大著『土星とメランコリー』(1964)にほぼ余すところなく綴ったのである。
クリバンスキーらの研究をかいつまんでいうと、中世までは怠惰と同じ悪しきものとみなされていたメランコリーは、アラビアの占星術と結びつけられ、ルネサンス期には、不吉な悪霊であると同時に、知性の神である土星からの贈り物であると捉えられるようになった。そこからメランコリックな天才という観念が誕生し、デューラーの銅版画へと受け継がれていったのである。
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パノフスキーといい、テレンバッハといい、レペニースといい、ドイツ人のメランコリー研究に傾ける情熱は計り知れないものがある。かれらのメランコリーを探究する姿勢は、デューラーの銅版画に描かれた、神からの霊感を待ち望みつつ沈思黙考するあの有翼の女性の姿と重なりはしないだろうか。そしてまた今日もドイツ的メランコリーは、かの地の人びとを深い暗闇へとつつみこもうとする黄昏時の薄明(Dammerung)のなかで、生み出されているのかもしれない。