じじぃの「人の死にざま_560_A・デューラー」

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Albrecht Durer by Victoria Taylor-Gore 動画 YouTube
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Albrecht Durer by Dr. John Lienhard 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=iTaKSF1DX6o&feature=related
祈りの手

アルブレヒト・デューラー-1500年の自画像(28歳の自画像)
http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/durer_self.html
アルブレヒト・デューラー ウィキペディアWikipedia)より
アルブレヒト・デューラーは、ドイツのルネサンス期の画家、版画家、数学者。同名の父・アルブレヒトは、ハンガリーからニュルンベルクに移住してきた金銀細工師。
【出生】
デューラーは1471年5月21日に、第三子(次男)としてニュルンベルクに生まれた。
1467年に、彼の親方であるイエロニムス・ホルパーの娘バルバラと結婚した。 デューラーの後見人はアントニー・コーベルガーで、デューラーの生まれた年に印刷家、出版家になるために金細工職人を辞めた。ほどなく彼はドイツで最も成功した出版家となり、最終的に24の出版物と、ドイツ国内に数多くの事務所を所有した。彼の最も有名な出版物は、1493年にドイツ語とラテン語版が出版された『ニュルンベルク年代記』である。そこにはミヒャエル・ヴォルゲムートによる、前例のない1809の木版のイラストが含まれていた。この計画が始まった時、デューラーはヴォルゲムートと共に、これらを手伝った。
幸運にもデューラーは自画像を多く残していて、20代中頃には大変有名になっていた。
1507年から1511年の間、彼は最もよく知られた絵画を残した。1507年の「アダムとイヴ」、フリードリヒ3世のために描かれた1508年の"The Martyrdom of the Ten Thousand"、同じく1508年の"Virgin with the Iris"、フランクフルト・アム・マインのJacob Hellerのために描かれた1509年の"Assumption of the Virgin "、Matthaeus Landauerのために描かれた1511年の"Adoration of the Trinity"などである。同時期に彼は、『大受難伝』と『マリアの生涯』の2つの木版シリーズを完成させ、両作品とも1511年に、『黙示録』シリーズの第二版と共に出版された。ヴェネツィアから帰国後の木版画は、デューラーのキアロスクーロモデル効果の発展を示している。出版物のいたるところに、明暗が対称的な中間の色調が見られる。
1513年から1514年にかけて、銅版画の傑作である『騎士と死と悪魔』、『メランコリアI(メレンコリアI)』、『書斎の聖ヒエロニムス』などの作品を発表した。また、1520年〜1521年にはネーデルラントにも滞在している。

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日曜美術館 「デューラーの“聖と俗”〜姜尚中が問う美術の力〜」 2011年3月27日 NHK
【司会】姜尚中中條誠子 【ゲスト】東京藝術大学准教授 佐藤直樹
司会の姜尚中さんがドイツに留学していた時、28歳で出会い、衝撃を受けたデューラーの「1500年の自画像」。己が何者なのか問いかけながら、画家が自らをキリストのように描いた中世の謎多き作品である。苦悩する自分に光を投げかけたこの作品と、姜さんは30年ぶりに再会する。長い時を経て、今度は何を感じるのか。2年間「日曜美術館」の司会を務めた今、「美術の持つ力」について問う。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2011/0327/index.html
『名画に教わる名画の見かた』 早坂優子/著、視覚デザイン研究所/編集 2000年発行
西洋美術史年表1400〜1600 北方ルネサンス アルブレヒト・デューラー(1471年-1528年) 
ニュルンベルクの金工細工師の父のもとで修業。15歳の時に挿絵画家ヴォルゲムートの工房に入り、140年には徒弟修業の旅でドイツ中を回る。1494年の結婚後、北イタリアに短い旅をし、帰国後に工房を構えた。細密な線による描写は当時新しく開発された銅版画に生かされ、連作「ヨハネの黙示録」で一躍名声を馳せた。
その自信に裏打ちされた「自画像」は自分を人文主義者やキリストに見立て、当時としては画期的なものだ。
1515年には皇帝マクシミリアン1世の宮廷画家になり世界的な大画家として知られた。

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アルブレヒト・デューラー Google 検索
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