じじぃの「歴史・思想_288_現代ドイツ・ガラス製眼球人形」

The Glass Eye Maker - Jost Haas (Documentary)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=540DTFdC7AE

Kanis eyes you will find

We will make you beautiful eyes, which you can buy. Hand made and mouth ...

Our glass eyes - from Lauscha Germany, for your lovingly made dolls, bears and teddies.
https://www.kanis-augen.eu/?language=en

『現代ドイツを知るための67章【第3版】』

浜本隆志、高橋憲/編著 明石書店 2020年発行

ドイツの人形文化と「ドール系」――惹きつけられる眼球 より

ドイツの職人が高品質素材を駆使して手づくりで1体ずつ製作するテディベアや、17世紀から続くドイツ山間部の伝統工芸品であるくるみ割り人形は、ドイツの伝統的人形文化といえるだろう。
ちなみに近年、日本では「ドール系」という高級フィギュアを趣味とする人びとやジャンルが台頭して久しい。価格帯が10万円単位という高価な趣味なのだが、その同好の士たちにとって非常に有名なドイツの会社がある。
その社名は「カニス・アウゲン」(Kanis-Augen)。「カニスの眼」という意味であるが、文字どおり、フィギュア用の精巧なガラス製の眼を製作する家族経営の会社なのである(画像参照)。
この会社は、くるみ割り人形の産地である著名なゾンネベルク市を郡庁所在地とするチューリンゲン州同郡に属する都市ラウシャ(Rauscha)にある。オーダーメイドを中心にした小規模経営で、おもにインターネット通販で受注生産している(http://kanis-augen.eu)。テディベアをカスタマイズするためのガラス眼球の製造も受注している。カニス・アウゲン社の詳細は、そのホームページに詳しい。このラウシャ市は、日本ではあまり知られていないが、手づくりガラス職人の街として有名で、クリスマスツリーのガラス製飾りが生まれた町でもあった。
    ・
クリスマスツリーの飾りとして、それまでの小さなガラス玉の代わりに、ガラス工たちが大きめのガラス球を用いるようになったのも、この世紀であった。それゆえ、ラウシャは現在、クリスマスツリーにサイズが大きめのガラス球の装飾を最初にほどこした地として知られている。
もう1つ、画期的であったのは、動物や人形のガラス製の眼をつくる技術から、人間の義眼を開発するのに成功したことだ。1832年にヴュルツブルグ大学の教授が、ゾンネベルグでラウシャ産ガラス製の眼を人形に埋め込んでいるのを見かけたことが契機となった。人形に使用される高品質の目玉を人間の義眼に転用するというアイデアが生まれたのである。ついに1835年、試行錯誤の末に、ルートヴィヒ・ミュラー=ウーリという人物がはじめて、ガラスによる人間の高精度な眼球の再現に成功したのだ。
カニス・アウゲン社のホームページは、自社の眼球の精度についても言及している。眼球の白眼部分、虹彩、瞳孔の図解と説明が掲載されており、注文ごとに、この部分の色や配分を調整して、本物同様につくる技術は非常に高度なものだろう。
ガラス製義眼の発明は、ラウシャでの都市ガス普及ともあいまって、技術向上が図られた結果、21世紀に至る180年以上も、事故や病気、戦争で眼球を失った人びとの眼の代替物として役立ったのである。
ラウシャのこうしたガラス精錬技術は、特別な工具とともに、家族単位で若い世代へと継承されて、伝えられてきたものである。この慣習は現在も続いている。
その後、2度の世界大戦をへて、ラウシャは旧東独のガラス工場コンビナートとして、社会主義体制下で運営されるようになった。しかし、すでに時代の需要はプラスチック製の眼に移行していたために、ラウシャでは、ガラス製の動物や置物や花瓶を生産していた。
1989年のベルリンの壁の崩壊がさらなる転機となった。ラウシャは旧東独政府の管理から解放されたが、顧客も失った。そこでこの年が選んだのは、かつての伝統の技術へと立ち返ることであった。
ちなみに、カニス・アウゲン社の現当主は、人形用のガラス製の眼をつくるラウシャ最後のマイスターを舅(しゅうと)にもち、かれから技術を直接学んだとのことである。
ドイツといえば、<堅実な技術とマイスター>の国というイメージが現在も厳然としてあるが、16世紀に誕生してから、ガラス製品を生産し、人形のガラス製の目玉をつくってきたラウシャの技術と職人はまさしく、そうしたドイツのイメージを形成してきたといえるだろう。