じじぃの「歴史・思想_267_ハラリ・21 Lessons・コミュニティ」

意外と知らない !? Facebook ページの多言語化

2016.9.19 LIFE PEPPER
グローバル展開する上で facebook ページを利用してファンを獲得することの重要性は以前の記事でも解説させていただきました。
https://lifepepper.co.jp/abroad/facebook-customize/

『21 Lessons』

ユヴァル・ノア・ハラリ/著 柴田裕之/訳 2019年発行

5 コミュニティ――人間には身体がある より

カリフォルニア州の人々は地震には慣れているが、それでも2016年の選挙の政治的な激震は、シリコンヴァレーの不意を衝き、猛烈な衝撃を与えた。自分たちが問題の一因かもしれないことに気づいたコンピューターの専門家たちは、技術者が最も得意とする反応を見せた。すなわち、技術的な解決策を探したのだ。この反応が最も顕著だったのが、メンローパークにあるフェイスブックの本社だった。それも無理はない。フェイスブックソーシャルネットワーキングを仕事としているので、社会的な騒乱には最も敏感だったのだ。
マーク・ザッカ―バーグは3ヵ月にわたって内省を重ねた後、2017年2月16日に大胆な声明を発表し、グローバルなコミュニティーを築く必要性を訴え、その事業でフェイスブックが果たすべき役割を明らかにした。ザッカ―バーグは2017年6月22日に初のコミュニティサミットでその声明を踏まえて講演し、薬物依存症の蔓延から残忍な全体主義体制まで、私たちの時代の社会政治的混乱は、コミュニティの崩壊に負うところが大きいと説明した。「過去数十年間に、あらゆる種類の団体の所属者数が4分の1も減りました。今やどこか別の場所で目的と支援を見つける必要がある人が、こんなに大勢いるのです」と彼は嘆いた。そしてフェイスブックはそうしたコミュニティの再建事業の先頭のに立ち、教区牧師たちが投げ出した責務を同社の技術者が担うことを約束し、「わが社は、コミュニティの構築を楽にするツールを発表していきます」と述べた。
彼はさらに説明を続けた。「みなさんにとって有意義であろう団体をもっと上手に推薦できないかを検討するプロジェクトを、我が社はスタートさせました。これを行なうための人工知能を構築し始めました。そしてうまくいっています。最初の半年間で、これまでより50パーセント多くの人が有意義なコミュニティに加わるお手伝いできました」。彼の最終目標は「10億人が有意義なコミュニティに加わるのを助けること」で、「もし我が社がそれを達成できれば、過去数十年間に目にしてきた、コミュニティ所有者数の減少傾向が逆転するだけでなく、私たちの社会的な結びつきが強まり、世界はより緊密になり始めるでしょう」。
これは非常に重要な目標なので、ザッカ―バーグは「フェイスブックの使命をそっくり替え、この責務を引き受ける」ことを誓った。ザッカ―バーグがコミュニティの崩壊を嘆いたのは、たしかに正しかった。とはいえ、ザッカ―バーグがこの誓いを立ててから数ヵ月後、本書が印刷に回されようとしていたまさにそのとき、ケンブリッジ・アナリティカ・スキャンダルが発覚し、フェイスブックに託されていたデータが第三者の手に落ち、世界中で選挙を操作するのに使われたことが暴露された。これでザッカ―バーグの高尚な約束は台無しになり、フェイスブックに対する世間の信頼も粉々に砕け散った。新しいコミュニティの構築に取りかかる前に、フェイスブックがまず既存のコミュニティのプライバシーとセキュリティの保護に取り組んでくれることを願うばかりだ。
それでも、フェイスブックのコミュニティのビジョンを詳しく検討し、セキュリティが強化された暁には、オンラインの社会的ネットワークがグローバルなコミュニティの構築に役立つか考察してみる価値はある。
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ザッカ―バーグは、フェイスブックはこれからも一生懸命に「みなさんに自分の経験を」他者と「シェアする力を提供するツールの改良を重ねていく」と述べた。とはいえ、人々が本当に必要としているのは、自分自身の経験と接触するツールかもしれない。人々は、「経験をシェアする」という名目で、自分に起っていることを、他人にどう見えるかという観点から理解することを促される。何か胸の躍るようなことが起これば、フェイスブックのユーザーは本能的異スマートフォンを取り出し、写真を撮り、投稿し、「いいね!」という反応が返ってくるのを待つ。その間、彼らは自分自身がどう感じているのかには、ほとんど注意を払わない。それどころか、彼らがどう感じるかは、オンラインの反応によってしだいに決まるようになってきている。
自分の体や感覚や身体的環境と疎遠になった人々は、疎外感を抱いたり混乱を覚えたりしている可能性が高い。有識者はそのような疎外感を、宗教的な絆や国民の絆の衰退のせいにすることが多いが、自分の体とのかかわりを失うことのほうが、おそらく重大だろう。人類は何百万年にもわたって、教会や国民国家なしで生きてきた。おそらく21世紀にも、両者なしで幸せに暮らせるだろう。とはいえ、自分の体から切り離されては、幸せには生きられないだろう。自分の体にしっくり馴染めないなら、世界にしっくり馴染むことはけっしてできない。

今までのところ、フェイスブック自体のビジネスモデルは、たとえオフラインの活動に充てる時間とエネルギーが減ることになっても、より多くの時間をオンラインで費やすように人々を奨励する。フェイスブックは、本当に必要なときだけだけインターネットに接続し、自分の身体的環境と自分自身の体や感覚にもっと注意を向けるように、人々を奨励する新しいモデルを採用できるだろうか?