じじぃの「歴史・思想_230_人工培養された脳・脳オルガノイド(ミニ脳)」

ミニ脳に「意識」はあるか?― 脳オルガノイド研究は、治療、創薬への道をひらく!

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Qo0noVU-glo

実験室で誕生 脳オルガノイド

日経サイエンス 2017年3月号
人間の脳に関する知識の多くは,マウスやラットなどの動物実験から得られている。
これらの動物の脳は人間の脳と共通する部分が多いが,表面に深く折り畳まれたしわがなく,この違いが神経機能に影響している。統合失調症からアルツハイマー病まで,様々な脳疾患の治療法を齧歯類の実験で探る研究が失敗してきたのは,人間の脳のユニークな特徴によって説明がつくかもしれない。このため,神経科学の実験を行う新手法の研究が進んだ。動物実験に代わる手段として,発生中の脳の主要部分を培養皿の上で育てる方法がある。こうした「脳オルガノイド」はマウスの実験では得られない情報をもたらしてくれるだろう。すでにジカウイルスの脳への影響を調べるのに利用されている。
http://www.nikkei-science.com/201703_034.html

『人工培養された脳は「誰」なのか』

フィリップ・ボール/著、桐谷知未/訳 原書房 2020年発行

身体の復活――肉体としての自分に折り合いをつけて より

人体の能力への新たな理解が、古い哲学的な疑問を揺るがしている。デカルトからヒューム、シドニー・シューメーカーまで、伝統的な自己の哲学のほぼすべては、個人の独自性と統合性を基礎に置いている。しかし今では、わたしの腕の一部が、受精の行為がなくても胚になれる可能性(実際には程遠いとしても)を受け入れざるをえない気がする。わたしの、あるいはあなたの体のほぼあらゆる細胞が、ヒトになる可能性、あるいは少なくともヒトの配偶子の前駆細胞になる可能性を秘めている。それは自己の宗教倫理、そしてもちろん合法性にとってどんあ意味を持つのだろう(もしエルヴィス・プレスリーの汗をイーベイで買えたら、それは”自分のエルヴィスを育ててもいい”ということなのか?)。
おそらくどんな方法で誘導しても成長し続けるヒト組織の変幻自在な能力を踏まえるとするなら、生と死とアイデンティティーを判定するための道徳的枠組みをどう構築すればいいのだろうか? 絶えず変動する生命の塊のなかで、わたしたちはどこにいるのか? もしかするとヒトは、生きている肉体に吹き込まれた、もっと一般的な”わたしたちの本質”が個別に具現化したものにすぎないのだろうか?
ここで探しているのは、個体性の根源のように思える。生物学ではそれを突き止められないことに気づくのは、ちょっとしたショックかもしれない。
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わたしの小さな神経オルガノイドは、正確には”皿のなかの脳”ではなかった。意識があるとか、認知と呼べる何かが可能だとかを示唆するものは少しもなかった。
しかし、成長を続けてもっと本物の脳に近づくのに必要な血管系と発生の信号を与えることができたら、と仮定してみてほしい。あるいは、脳の異なる部分に似た神経培養物を育て、それらを接続して”脳のアセンブロイド”をつくれると想像してみてほしい。意識についてはまだ定説もなければ、明確な定義すらないが、大脳皮質の特定の領域から発生しているらしいと考えられる。この領域に酷似した脳オルガノイドを育てられたとしたら?
そういう構造物にはどんな地位が与えられるべきだろう? 思考、あるいは判断と呼ぶにふさわしい何かができるようになるだろうか? その体験はどんな性質を持つのか? そしてそれは”誰”なのか?
<クリエイテッド・アウト・オブ・マインド>の”皿のなかの脳”プロジェクトに加わったとき、わたしは、そんな質問をするのはばかげているし不遜だと考えていた。しかし、わたしのミニ脳が形を取り始めたのと同じころ、その可能性を真剣に考える一流の神経科学者と生命倫理学者数名が、《ネイチャー》に論文を発表した。著者らによれば、そういうものができるのはまだずっと先のことだが、今からそれについて考える必要がある。彼らが論じるところによると、「脳の代用物がより大きく、洗練されていくにつれ、ヒトの知覚力に似た能力を持つ可能性が、ありえないことではなくなるかもしれない」。そういう能力には「喜びや痛みや苦しみを(ある程度)感じられること、記憶を保存して検索できること、あるいはもしかすると、いくらか行為主体性の知覚や自己認識を持つことさえ含まれる」。ハンク・グリーリー(論文の著者のひとり)が言うには、そういう研究の規制構造になるまでに、あと5年から10年ほどしかない。
今日のミニ脳には、ヒトの脳のような複雑さはまったくない。たとえば、成人の脳には860億個のニューロンがあるのに比べて、あの豆粒大の塊にはたいてい、ほんの100~200万個しかない。そのうえ、脳オルガノイドのニューロンは活性化がずっと低く、シグナルの送信(”発火”)速度は本物のほんの3~4パーセントにすぎず、形や構造の複雑さをほとんど処理できない。
しかし、ある程度の意識を持つ脳オルガノイドという発想をいだくのは、それほどばかげたことではない。数字だけを見ても、当てにならない場合がある。たとえば、ヒトの脳内ニューロンの80パーセントは小脳にあるが、小脳が完全に欠けている人でも意識を発達させることは可能だ。少なくとも、そういう極度の発育障害の、ある不運な中国人女性の症例ではそうだった。それに、脳のニューロンは、周囲の世界の精神的なモデルを構築するためだけでなく、適切に機能するためにも知覚経験を必要とするが、オルガノイドの成長に合わせて経験を与えることもできる。たとえば、ある研究者のチームが育てた脳オルガノイドは、原始的な網膜のようなものを発達させ始め、その領域に光を当てるとニューロンが活性化された。マデリン・ランカスターは、脳オルガノイドのニューロンを筋組織と結合させ、神経活動に対する筋肉の反応を観察し、原理上オルガノイドが環境に作用し反応できるようにした。
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けれども、わたしのミニ脳は栄光の日々を終えた。クリスとセライナはそれを育てたあと、ホルムアルデヒドで固定し、ゲルに包埋して、染色と画像化のために切断した。あの生き物に対する心のケアの義務を怠ったとは思っていないが、あとを引くささやかな感情を、完全には振り払えずにいる。
決して死を免れない体を超えた、自らの組織の増殖をめぐるわたしの冒険は、これで終わりだろうか? どうもそうではないらしい。

液体窒素のなかに、まだきみの線維芽細胞とiPS細胞があるよ」クリスは言う。「冷凍保存保存され、よみがえらせる準備はできている……」