都市と歴史 パリ
問題 「パリ大改造で行われたのは?」
・エッフェル塔建設
・鉄道の高架化
・道路の拡幅
正解 道路の拡幅
【池上彰さん解説】
「19世紀当時、パリでは人々は汚物を外に投げていた。それが川に流れ、下水は下流の人たちの生活用水に利用されていた。感染症が広まる典型的な環境だった。そんな中、コレラが流行。インドから英国を経由しパリで流行。1832年には大流行し、1万8000人が犠牲になった。コレラを封じ込めるためには街をきれいにしなければならないと皇帝・ナポレオン3世は「パリ大改造」を打ち出した。セーヌ県知事・ジョルジュ・オスマンは17年間にわたってパリ大改造に従事。地下に巨大な下水道を整備、衛生状況を改善した上で景観にもこだわった。細い路地を壊し道路の幅を広くして整備した。同じデザインの建物を4万棟建設。パリは花の都へと生まれ変わった。この手法はスペイン・バルセロナ、スウェーデン・ストックホルムなどの都市改造にも影響を与えた」
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地球ドラマチック 「あなたの知らないパリ~潜入!驚異の地下迷宮~」
2017年7月15日 NHK Eテレ
【語り】渡辺徹 (2017年 フランス)
パリの街には、知る人ぞ知る巨大な“地下世界”が広がっている。
取材班が、ふだんは公開されていない4つの地下世界に特別潜入し、その成り立ちと謎に迫る。傑作「オペラ座の怪人」誕生のきっかけとなった地下の巨大な貯水槽や、数百万に上る人骨が集められた共同墓地「カタコンブ」。そして、パリ市民の命を救った都市の設備など…。いつ、どこで、誰が何のために造ったのか? ミステリーに迫る。
●パリのコレラ禍と下水道
19世紀末まで下水道さえなかったパリでは、各家庭で出された汚物は道路に放り出され、その汚物が雨によって流され、セーヌへと注がれていました。下水道の代わりになっていたのが、道路の中央に刻まれた溝(路上中央溝)でした。家庭から出された廃水と雨水がその溝に集まり、徐々に流れてセーヌへたどり着く仕組みです。
さらに驚くべきことに、かつてパリの人々は、このような排水・汚物が流れ込むセーヌ河の水を飲んでいました。
1832年春、ヨーロッパ全土を襲っていたコレラ禍がパリにも発生し、18,000人以上の死者を出した。こうした惨事はパリの劣悪な衛生環境で起こるべくして起こったものといえます。
パリのあらゆる通りに下水を完備する発想は、当時のセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンの心をも捉えていました。彼はまた下水だけでなく、上水(飲み水)に関する改善にも取り組みました。19世紀後半、セーヌの汚れた水を飲んでいたパリの衛生環境をどうにかしたいと考えていたナポレオン3世は、パリ北東にあったウルク川をパリ市内に移し、ラ・ヴィレット貯水場を建設しました。オスマンが知事になったときには、すでにセーヌ河と並ぶ重要な水の供給源となっていました。
現在、パリの水道は浄水技術の進歩により、アヴル川・ロワン川・リュナン川・マルヌ川・セーヌ川の上流など、様々な地域の水によって構成されています。セーヌの汚い水を飲む劣悪な環境が長く続いてきたパリの水事情は、19世紀の半ばになってようやく改善へと動き出し、オスマンによって確立されていきました。現在の下水道は全長2100キロまで拡大しています。
https://www.facebook.com/NHKonline/posts/1808743045819019/
どうでもいい、じじぃの日記。
ウイルスと汚染水の関係はどうなのだろうか。
肝炎ウイルスの場合は汚染された飲料水あるいは食物を飲んだり食べたりすると感染するのだそうだ。
日本の場合は、水道水の塩素消毒が義務づけられているので心配する必要がないらしい。