じじぃの「日本の衛生の先駆者・コレラ蔓延を食い止めた人は?池上彰のニュース検定」

「衛生の先駆者」後藤新平から学ぶ

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mQ1nwMYpxj4

似島第一消毒所(第一検疫所) 全景

似島の3つの検疫所

広島市似島臨海少年自然の家は、戦前「陸軍第二検疫所」が設けられ多くの帰還兵達がこの島で検疫をうけました。
ここでは、検疫所について紹介していきます。
http://www.cf.city.hiroshima.jp/rinkai/heiwa/heiwa004/keneki_sho.html

池上彰のニュース検定

2020年5月13日 テレビ朝日 【グッド!モーニング】
きょうのキーワード 「明治の水際作戦」。

問題 「日清戦争直後コレラ蔓延を食い止めたのは?」

伊藤博文
後藤新平
犬養毅
正解 後藤新平
池上彰さん解説】
 「1895年、明示28年に日本は重大な危機に直面しました。日清戦争で戦った大量の日本兵が帰国することになったのです。当時、中国ではコレラなどの感染症が蔓延しており、日本兵の帰還に危機感がありました。コレラは激しい下痢が突然起こる感染症です。感染力が強く急速な脱水症状などで死の危険もある恐ろしい病気です。この水際作戦の陣頭指揮をとったのが後に東京市長になった後藤新平です。後藤新平はわずか2ヵ月で大規模検疫所を作りました。検疫所では健康な人と感染者が分けられ、感染者は隔離しました。3ヵ月で検疫した人数は23万2346人に上りました。世界でも例のない規模の検疫だったのです。後藤新平関東大震災から東京の復興を成し遂げたことで知られています。当時は陸軍の検疫部門の責任者。後藤らの不眠不休の奮闘でコレラ死者数は激減します。日清戦争で勝利した兵士達は故郷に錦を飾りたいと思っていたが検疫で足止めされて反発の声も多くあったのです。しかし後藤は国民をコレラから守るため検疫を徹底したのです」

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『考える人 日本の科学者100人100冊』

新潮社 2009年発行

後藤新平 生物的原理で動いた男 【執筆者】養老孟司 より

後藤新平の全仕事」シリーズの一環として、藤原書店から鶴見祐輔の『<決定版>正伝 後藤新平』が刊行されている。後藤の女婿である著者が昭和12年に書いた作品の決定版だ。私が生まれた年の執筆だから、なんとも古い。古いのだが、引用された漢文調の書簡等はすべて口語訳が付されているから読みやすい。医者時代、衛生局長時代、台湾時代、満鉄時代、第二次桂内閣時代、寺内内閣時代、東京市長時代、「政治の倫理化」時代、の各時代、の各時代を八分冊としている。それぞれで後藤が成し遂げたこと、成し遂げられなかったことが書かれているが、ここでは、三巻の『台湾時代』を紹介しておく。
後藤は台湾総督府で民政局長として、「植民地統治」にあたった。総督の児玉源太郎が呼び寄せるのだが、結果としては適材適所。当時は人を見る目があった。「植民地主義」は戦後に罪悪として批判されるが、後藤の台湾統治は成功といわれることのほうが多い。その結果は台湾のひとに聞くしかないが。
治めるにあたり、後藤は統治の原則を「生物学的原理でやる」と断言した。では「生物学的原理でやる」とはなにか。現代社会はお金を中心に社会を考えるのが普通で、多くの人はそれで当然ととらえている。私はモノを基準にして考える。それは理系で医者だからなのか、それとも物質が欠乏していた時代の育ちのせいかは知らない。モノを基本としていくのは、自然科学の原則である。モノのあり方が状況を根底からまず決めてしまう。あれこれと方策を練るのは、それから先の話だ。まず、基本はモノである。後藤は医者だったから、それが当然だろう。水や石油といったモノに絡んで社会を考えた。同時に、自己の生命を衛ろうとするすべての生物に共通する生存本能、というべきものを前提としていた。「健全なる生命」の上に社会は成り立つと説いたのである。だから、具体的な統治にそれを反映すると、土地から人口までをまず徹底的に調査し、その結果を基に衛生から交通、法律に至るまで整備する。住民構成や現地の気候風土をも考慮に入れることになった。

日本女性の平均寿命が飛躍的に伸び始めたのはいつか。乱暴にいえば、後藤が水道水の塩素による消毒を始めたときだという。

清潔な衛生環境こそが寿命を延ばした。予防は対処と異なり、評価されることは少ない。起こったことを処理する方が、事前に問題を防ぐよりも実感できるからだろう。モノを社会で見ると、意外なところに本質が出る。
再び後藤の言葉を読み返して思う。あまりにも当然なことを後藤は繰り返している。そして、その当然と思えることがいかに実現されていないかを確認する。明治のひとというのは同じ日本人か、百年たってこれほど変わるのか。