じじぃの「歴史・思想_150_未来への大分岐・メイソン・次なる経済社会」

Paul Mason - is capitalism dead? | Guardian Live

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4HMs0kkUvq8

PostCapitalism: A Guide to Our Future (英語) 2016/6/2 Paul Mason (著) Amazon

●From Paul Mason, the award-winning Channel 4 presenter, Postcapitalism is a guide to our era of seismic economic change, and how we can build a more equal society.
Over the past two centuries or so, capitalism has undergone continual change - economic cycles that lurch from boom to bust - and has always emerged transformed and strengthened. Surveying this turbulent history, Paul Mason wonders whether today we are on the brink of a change so big, so profound, that this time capitalism itself, the immensely complex system by which entire societies function, has reached its limits and is changing into something wholly new.

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資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐 集英社新書

【著者略歴】
■ポール・メイソン(PM)
ナオミ・クラインらが絶賛した『ポストキャピタリズム』で、情報テクノロジーによって資本主義は崩壊すると主張し、次なる経済社会への移行を大胆に予言。鬼才の経済ジャーナリスト。
■斎藤幸平
1987年生まれの若き経済思想家。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。
https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0988-a/

『未来への大分岐 資本主義の終わりか、人間の終焉か?』

マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン、斎藤幸平/編 集英社新書 2019年発行

テクノロジーの時代に資本主義が死んでゆく より

成長の鈍化と生産力の過剰

斎藤

 では、産業資本主義が終りを迎えつつある歴史的な転換点という視点から、ポストキャピタリズムについて議論を始めていきたいと思います。
 あなたが指摘してくださったように、18世紀末に始まった産業資本主義は技術発展を加速させることで、モノが社会にありあまるほど、生産性を上昇させてきました。もちろん、貧富の格差の拡大ゆえに、すべての人が欲しいモノを欲しいだけ買えるお金を持っているかは別問題ですが、いわば、産業資本主義は「成熟」に達している。これが現代社会の姿です。
 これを先ほどのコンドラチェフの波(技術革新を原因とする景気循環、第1波 蒸気機関 ~ 第5波 情報技術)と関連づけて考えてみましょう。あなたは、技術革新によって引き起こされる利潤率の低下に着目し、コンドラチェフの波の終わりは利潤率の低下による恐慌であると、『ポストキャピタリズム』のなかでマルクスを参照しながら論じていますね。
 マルクスの利潤率の傾向狄低下法則は、昔から多くの論争を巻き起こしてきたわけですが、近年では、先進国における利潤率の長期的な低下に着目した研究も出てきて、ポストキャピタリズムとの関連で論じられるようになってきています。

生き延びるためのポストキャピタリズム より

ポストキャピタリズムと国家の役割

斎藤

 気候変動とシンギュラリティの問題について考えると、解決策のひとつの方向性は、加速主義とはむしろ反対に、「減速」することではないでしょうか。国家によるアルゴリズムなどの規制というあなたの主張も、一種の「脱・加速」といえるかもしれません。

PM

 私は減速という言葉を使いません。そもそも加速/減速という問題設定を受け入れるべきではないのです。
 もちろん、より多くの産業、より多くの技術革新、より多くの技術を私は求めていますが、「近代を加速せよ、はじけ飛ぶまで」という加速主義とは違うのです。それは私の狙いではありません。私のプロジェクトは、技術を管理し、企業を管理し、経済を管理することを目指しています。すべて、人類のために、です。
 それゆえ、「潤沢な社会」にたどりつくためには、より多くのものが国家によって、生産され、管理されなければなりません。
 けれどもそれ以上に、より多くのものが市場と国家を超えて、生産され管理されなければなりません。つまり、協働作業をする人々による、生産・管理です。ウィキペディアのようなものに、協働して取り組みのを人々は好んでいる、ということです。世界中の全ての人々がウィキペディアと「取引」していますが、その「取引」は利益や損失を伴うものではありません。
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斎藤

 ただ、そうした国家の上からの介入が、サイバー・スターリン主義を生み出してしまうかもしれない。実際、そうした危険性をあなたも指摘していますよね。

PM

 本の中では、ふたりのサイバー・スターリン主義者を激しく非難しておきました。このふたり――コンピュータ科学者ポール・コックショットと経済学者アリン・コットレル――は、1990年代にスーパー・コンピュータを使えば計画経済は可能である、と主張していた人物ですが、国家が計画経済などを始めれば、それはスターリン主義の始まりです。いくらAIが発達したとしても、経済を相当に単純にモデル化して、計算可能な単位に抽象化・画一化していかなければならないでしょうから。
 しかし、ポストキャピタリズムは、そのような画一性を押し付けるスターリン主義的な計画経済とは、まったく違います。ポストキャピタリズムは、多様性を通じてこそ可能になるはずだからです。
 市場は存在し続けるでしょう。そしてポストキャピタリズム的な特性をもつシステム同士のあいだに、競争が出現してくるでしょう。たとえば、統合されたひとつの輸送システムをもつのが良いか、数多くの輸送共同組合をもつのが良いのか。時間が経てば、どちらなのか、わかります。私はどちらになってもかまいません。
 私が言いたいのは、中央集権的な国家による計画経済は、必要ないということです。財の希少性は、もはや問題ではありません。市場経済のなかで、「潤沢な島々(生産拠点)」を築くことから、始まります。市場経済のなかから、これらの島々は成長していき、互いにつながり合うことができます。

斎藤

 それでも、あなたがハートやネグリとは違って、ポストキャピタリズム社会の実現において、国家が果たす役割についてはかなり前向きですね。

PM

 ええ、資本主義以降の経済についての議論がいろいろあるなかで、私が理論的に貢献したと思うのは、国家の役割を重要だとみなすところです。
 国家には、経済エコシステムを支える後援者になってもらわねばなりません。また、そのエコシステムを守るためのルール設定者であるべきです。経済エコシステムが、企業、非営利団体、共同組合、相互組合、あるいは<コモン>を基礎にした生産システムなど、多様なもので構成されるように国家が支えるべきです。