じじぃの「歴史・思想_127_動物と機械・愛・感情を持つAI」

her/世界でひとつの彼女

Yahoo!映画 2013年
かいじゅうたちのいるところ』などの鬼才スパイク・ジョーンズが監督と脚本を手掛けたSFラブストーリー。
人工知能型OSの声に惹(ひ)かれる主人公と、生身の女性よりも魅力的なシステムとの恋のてん末を描く。『ザ・マスター』などのホアキン・フェニックスが主演を務め、彼が恋心を抱く声の主を『マッチポイント』などの女優スカーレット・ヨハンソンが好演。近未来的な物語に息を吹き込む彼らの熱演が胸に響く。
https://movies.yahoo.co.jp/movie/347781/

『動物と機械から離れて―AIが変える世界と人間の未来』

菅付雅信/著 新潮社 2019年発行

「わたし」よりも「わたし」を知っている機械 より

2001年宇宙の旅』で描かれた感情を持つAI

SF映画の金字塔『2001年宇宙の旅』(1968年)が製作されてから、2018年で50周年を迎えた。あの予言的SF映画がもう半世紀も前の古典になるとは感慨深いが、同年にはそれを記念して、クリストファー・ノーラン監督の協力による同作のニュー・プリント上映や、NHK・BSでの8K版の放送など、さまざまな周年企画が世界各地で行われた。この映画で描かれている2001年の未来は、多くの点で現在よりも先をいっているわけだが、なかでも宇宙船ディスカバリー号のコンピューター「HAL 9000」は現時点のAIよりも格段に賢く、かつ人間的な設定になっていることは印象深い。
同作では、HALが宇宙飛行士に反乱し、生き残った宇宙飛行士デヴィッド・ボーマンがHALのプログラムを必死に解除しようとする手に汗握るシーンがある。そこでHALは次のように言葉を発して抵抗する。
「デイヴ、わたしの意識が消えそうで怖い。わたしはそれを感じるんです。感じています……」
HALが最後に語る「わたしはそれを感じる(I can feel it)」という恐れの感情は、映画の中で初めて明確に描写された、「感情を持つAI」の様子だった。
しかし、実際にAIは感情を持つことができるのだろうか?
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もし人間の人格をコンピューター上で再現できるようになったら、どうだろう? その人格が「わたし」の代わりにメールの返信やスケジュール調整をしてくれるかもしれない。さらに簡単なタスクだけではなく、「わたし」の代わりに応対してくれるようなチャットボットは実現可能だろうか。もし人が死ぬ前にその意識や記憶をアップロードすれば、亡くなったあとにも会話できるようになるかもしれない。そんな社会では、人間にとって「死」はかなり異なった意味をもつはずだ。
サンフランシスコに拠点を置くReplika(レプリカ)は、会話を重ねることでその人の人格に似たボットを育てられるチャットボット・サービスを提供している。チャットボットとは、テキストや音声を通じてユーザーと会話を自動的に行なうプログラムのことだ。ツイッター上には膨大な数の個人、企業、または著名人によるチャットボットが存在し、ユーザーと日々、自動的に会話を行なっており、今では単にボットと呼ばれることも多い。レプリカのサービスは「人格をコピーする」にはまだほど遠い段階にあるものの、ボットとの対話を通じたメンタルヘルスの改善など、人間のウェルビーイング向上が期待されている。
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香港の起業家アンディ・アンはチャットボットの知的対話に大きな期待を寄せる一方、AIが人間の感情を把握するのは難しいと考える。
「人間にはさまざまな感情があります。しかし、人間は主に5種類くらいの感情しか使っていません。幸せ、悲しさ、罪悪感、恐れ、好奇心、欲求不満などです。人間の心の幅広い領域を考えると、AIは特定の領域にしか対応できないだろうと思います。ショッピングや仕事を速く済ませるとか、支出を抑えるとかです。人間関係の意味とか、教育とか、健康に関してはAIは一定のレベルにまでは達するでしょうが、それ以上はいかないのではないかと思います。なぜなら人間の感情はとても複雑だからです。人間の多様な感情は、AIには理解し難いと思います」
広告マーケティングの最先端を突っ走る彼は、AIを使った高精度なマーケティングとの多少の矛盾を感じながらも、そこに人間の悲しい習性を見る。
「残念ながら人間の95パーセントは、与えられたものを受け取るだけなのではないかと思います。なぜなら人間は習慣に基づいて行動するからです。私たちは毎日同じようなことを繰り返しており、わたしたちの行動の多くは予測可能です。それは少し怖いことでもありますね。わたしたちは自意識をもっていますが、それは基本的に習慣がつくるものです。ですから、わたしたちが自意識と思っているものが、じつは与えられた情報や環境によってつくられていて、それが今後はAIによって支えられていくという可能性は否定できないんです」
AIと親身で赤裸々な感情を伴ったやり取りをする。『her/世界でひとつの彼女』での、艶(なま)かしい美声をもったAI=サマンサとの親密な会話のようなコミュニケーションが実現するのは、まだ先のことではあるものの、すでに視野には入っているということが、ここまで見てきた数々の発言でわかるだろう。それが実現するとき、AIによって、またはAIを駆使した一部の人間によって、わたしたちの感情は思うがままに操られる可能性もある。そして、AIが周りの人々よりも<わたし>のことを理解していると感じるようになる世界が近づいている。しかし、そこでは「愛」や「幸福」がより問われてくるはずだ。
もしも極めて優秀で、ユーザーの嗜好を十二分に把握した音声認識AIが「愛しています」と囁(ささや)いたら、それは何を意味するのだろうか。それに心動かされることを、「そんなの単なるアルゴリズムのパターン反応だよ」と一笑に付すことが出来るとは言い切れない人間の弱さが露呈するように思えて仕方ない。
人間の感情の途方もない複雑さと、悲しいほどの単純さの両方をディープラーニングするAIは、感情という未開の森に、ひるむことなく押し入ろうとしている。