じじぃの「胃瘻・口から食べられなくなったら?平穏死のすすめ」

喉にモノがつまる

『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』

石飛幸三/著 講談社文庫 2010年発行

はじめに より

人間誰しも死ぬ、そして誰しも死ぬのは怖い。しかも必ず死ぬことを知っている。そうであるならば、せめて苦しまないように、取り乱さないように死にたいと願っています。そして時代の変遷とともに死に対する事態も変化を遂げています。そのひとつが死の高齢化です。介護する家族は核家族化しています。高齢者はいかに死を迎えればよいのでしょうか。老衰の果の死に対して、医療はどのように関わるべきかが、これからの大きな課題です。
多くの人は、安らかな人生の終末を期待しています。特別養護老人ホーム(略して「特養」または「ホーム」)は、人生の終末を迎えるにあたって安らかに過ごすために設けられた施設です。多くの入所者は、本当は自宅で最期を迎えたいのですが、家族に負担を掛けることを考えて、ホームでの最期を望んでいます。
医療技術の発達により死ぬまでの時間は引き延ばされました。しかし医療は死を止めることはできません。高齢になるほど増える認知症、いずれ自分の口では食べられなくなります。無理に食べようとすると誤嚥(ごえん 物を飲み込む際誤って気管に入れること)して肺炎を起こします。病院に入院して肺炎は収まります。しかし誤嚥しやすいことには変わりません。胃に直接栄養剤を入れる胃瘻(いろう 胃腔に向かって腹壁に開けられた孔とそこに設置された管)の手術を勧められます。認知症の場合はご本人に聞いても答えは得られません。どうするか、家族は迷います。

私たちがしたこと より

Ⅰ 肺炎を防ぐ 過剰な栄養は水分をあげない

食べられなくなった。熱が出た。脱水だ。さあ、点滴だ。多くの人は点滴をすると元気になるとばかり思い込んでいます。もちろん点滴1本で状況が好転する場合もありますが、心臓が弱っている高齢者では点滴量が多いと心臓が負担に追いつけず、心不全を引き起こすことが少なくありません。
本当のところ、超高齢者の補液量の管理は容易ではありません。先ず100歳に近い高齢者の必要カロリーや水分量など判っていません。本人の体は、建物に例えれば、どんな改装をしても母屋の土台が崩れかかっているのだからほとんど治せない。必要なことは入所者が少しでも幸せに1日でも楽しく過ごせて、静かに幕を閉じることです。どんな家族もこの最終目標に関して異論はありません。
健康であるために十分な栄養が必要であることは当然です。しかしそれは日常生活を支障なく送り、日々活動している者のことで、健康人さえ、本当に必要なカロリーは意外と少ないのかもしれません。これは極端な話ですが、デレビで見たインドの洗濯屋屋さんは、炎天下の河原で衣類を洗って、炭火の入った鉄のアイロンを使い、1日中汗だくになって働いて、なんと1日ナン1枚だけの食事だと言います。
寝たきりの人の場合は、少なくてよいはずです。私が長年いろいろ教えを乞うている先輩は、日頃はよく食べる人ですが、検診で病院に入院した時、検査のため禁食が続いて空腹状態を強いられたところ、神経が集中できて日頃抱えていた懸案をいくつか解決できた、やっぱり断食はよいと言っていました。
経口摂取が困難になった場合は、誤嚥をさせないようにゆっくりと食べさせ、量も制限する。体はもう受け付けなくなっているのです。年齢によって補正する計算式はあるものの、看取られる状態の体が必要としている量は更に少なくてよいはずです。一方、嚥下機能が低下している人では、「あと、もう一口」が誤嚥させることになりかねません。呑み込んだようで、実は喉の奥に溜め込んでいることがしばしばあります。ただ食べさせればよいというものではありません。思い切って食べさせない勇気も必要なのです。
高齢者で嚥下機能が低下し自分の口で食べられなくなった場合は、その人の生命の限界がきていることが多いのです。寿命がきている高齢者に、経管栄養を機械的に与えることに意味があるのでしょうか。まさに穏やかな看取りを妨げる事態です。

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どうでもいい、じじぃの日記。
この頃、喉にモノがつまったり、食事のときにむせることが多くなった。
「嚥下機能が低下している人では、『あと、もう一口』が誤嚥させることになりかねません」
口から食べられなくなったらどうしますか?
そうかあ、もう生命の限界に近づいているのか、なあ。
トホホのホ。