じじぃの「歴史・思想_02_世界史大図鑑・アレクサンドロス大王」

Alexander the Great (All Parts)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=K7lb6KWBanI

The Macedonian Empire of Alexander the Great

アレクサンドロス大王

百科事典マイペディア より
マケドニア王国国王(在位前336年―前323年)。フィリッポス2世の子。アレクサンドロス3世とも呼ばれる。
少年期にアリストテレスに師事。父の没後コリントス同盟下のギリシアの反乱を鎮圧、前334年ペルシア(ペルシア帝国)征討のため小アジアに渡る。グラニコスイッソスで戦勝、ティルス、ガザを攻略、エジプトに入りアレクサンドリアを建設した。前331年ガウガメラの戦でペルシア軍に完勝、王都ペルセポリスに入りペルシア征討の目的を達する。以後東征軍を再編成、パルティア、バクトリア、ソグディアナ、インド北西部パンジャブ地方にまで遠征。前324年スサに凱旋。東西人種融合策をとり、ペルシア人も文武官職に採用、自らは東方的絶対君主として神格化を要求。アレクサンドリア命名した多数の都市を建設して東西交通・経済の発展、文化融合に寄与、ギリシア語を共通語とするなどヘレニズム文化の基礎を置く。アラビア周航の準備中に病没。
遺将たち(ディアドコイ)の争いのため帝国は分裂し、ヘレニズム諸王国が出現した。のちにその生涯に空想や神秘をまぜた伝奇物語が各地で知られるようになった。

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『世界史大図鑑』

レグ・グラント/著、小島 毅、越前敏弥/訳 三省堂 2019年発行

勇敢な者に勝ちとれぬものはない アレクサンドロス大王によつ征服(紀元前4世紀)

アレクサンドロス大王 より

古代を通して、アレクサンドロスは人類史上最も卓越した人物だと見なされた。名声が長きにわたって広範囲にとどろき、中央アジアから西ヨーロッパにかけての国民文学に中心人物として登場するようなったことからも、歴史上屈指の著名人物だと言えよう。
半神半人と英雄の子孫とされる両親のもと、紀元前356年に生まれたアレクサンドロスは、哲学者アリストテレスのもとで教育を受け、それゆえにギリシャの伝説に心酔して、自分は無敵で神聖ですらあると信じるようになった。将軍としては決断力に富み、自分自身の命についても部下の命についても向こう見ずなほど大胆で、すばらしい戦術家だった。
長くきびしい出征のあいだ、軍は忠誠を保っていたが、短気で暴力的な性格が大量の飲酒によってさらに激化し、ときには友人などのきわめて近しい者を突発的に殺害することもあった。アレクサンドロスは権力の絶頂期にあった32歳で没した。彼の葬儀は、部下の将軍プトレマイオスに乗っとられ、エジプトのアレクサンドリアへと行き先を変更させられた。のちにユリウス・カエサルがそこにアレクサンドロスの墓を訪れたが、現在は失われている。

ヘレニズムの遺産 より

アレクサンドロスが新たに王となった帝国は広大で、多様な民族を含み、70の新都市が造られたが、ギリシャの文化、習慣、言語を共有することで一体となり、交易ルートによって結びついていた。アレクサンドロスの遠征以前から、ヘレニズム化はすでにペルシャの西半分で進んでいたが、アレクサンドロスがこれを加速させて中東全体へひろげた。
紀元前323年、アレクサンドロスは後継者を指名せずに死んだ。おそらく病死だが、毒殺の可能性もある。帝国は部下たちに分割され、彼らが創設したヘレニズム王朝のなかには、セレウコス朝シリアやプトレマイオス朝エジプトなど、ローマ時代までつづいたものもある。