Flags of Our Fathers
解説・あらすじ 父親たちの星条旗 (2006) FLAGS OF OUR FATHERS Yahoo!映画
監督 クリント・イーストウッド
第2次世界大戦時の最も悲劇的な戦いと言われる“硫黄島の戦い”を、アメリカ側の視点から描いた戦争映画。
監督は『ミリオンダラー・ベイビー』のクリント・イーストウッド。日米双方の視点から“硫黄島の戦い”を描く“硫黄島プロジェクト”第1弾作品としても注目だ。有名な“摺鉢山に星条旗を掲げる米軍兵士たちの写真”の逸話をもとに、激闘に身を置いた兵士たちの心情がつづられる。『クラッシュ』のライアン・フィリップら、若手スターが多数出演。第2次世界大戦の知られざる一面が垣間見られる。
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地上戦と島民たち――1945年 より
2006年、硫黄島地上戦を題材とするクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島2部作」(配給:ワーナーブラザーズ)が日米で公開された。2部作の公開に合わせて、日本では硫黄島地上戦にまつわる書籍や雑誌記事、テレビ報道が数多くリリースされ、「硫黄島ブーム」というべき現象が起った。この2部作が21世紀の日本社会の硫黄島認識に与えた影響は無視できない。
2部作の1本である『父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)』(原作:ブラッドリー、ジェームズ+パワーズ、ロン/島田三蔵訳『硫黄島の星条旗』)は、硫黄島の摺鉢山に星条旗を掲げた6人の米海兵隊員が主人公だ。この6人は、ピュリッツァー賞を受賞したAP通信カメラマン、ジョー・ローゼンタールの報道写真の被写体となったことで、歴史的人物に仕立て上げられてしまった。(ただし米海兵隊は2016年になって、6人のうちの1人であるジョン・ブラッドリーが星条旗を掲げたメンバーに含まれておらず、人違いだったことを公式に認めている)。
イーストウッドは6人のなかでも、ピマ族出身のアイラ・ヘイズを主役格にすえる。ヘイズは戦場からの生還後、凄惨な戦闘のトラウマと「インディアン」差別に苦しみ、アルコールに溺れながらも、「国民的英雄」として米国政府の戦時国債販売キャンペーンに利用されつくす。『父親たちの星条旗』は、ヘイズが疲弊し精神を病んでいく過程を、執拗なまでに反復する。じっさい、ヘイズは除隊後、アルコール依存症を悪化させ、32歳の若さで亡くなっている。
『父親たちの星条旗』は、戦争映画として異色の表現手法を採用している。イーストウッドは硫黄島の戦場シーンを徹頭徹尾、ヘイズら兵士たちの回想やフラッシュバックとして描くのだ。蓮實重彦が指摘するように、「回想しているのが誰だかわからない。そいつの若いときの顔がだれかもわからない。[中略]ところがそのわからないことがわからないままに話が流れていく」(中原昌也+蓮實重彦「映画の頭脳破壊 第1回:人類の創成――硫黄島からの手紙」)。
1つのシーンは、もはや謎の記憶なのかも判然としない。そして、除隊後もフラッシュバックに支配される主人公たちとともに、観客の私たちも、誰のものともわからぬ戦場の記憶に巻き込まれていく。
こうして『父親たちの星条旗』を観る者は、戦場死の無残さ、兵士のトラウマの深刻さを、否応なく共有させられる。この映像手法は、戦場経験や戦場死を美化し、兵士の経験を「国民的英雄」「国民的犠牲」として意味つけ利用しつくそうとする近代国民国家の残酷さを、見事なまでに浮かび上がらせる。
だが、他方で『父親たちの星条旗』が映像から経験したものがある。それは、日本軍将校の人間としての姿だ。この作品中、日本軍将校(朝鮮人など外地出身者を含む)はほぼ一貫して、6人の米海兵隊員の回想やフラッシュバックにおいて現われる、「見えない敵」として描かれている。すべてのシーンを回想やフラッシュバックで構成するという、イーストウッドの実験的な手法の帰結として、日本軍将校は人間としての固有性を徹底的に剥奪されてしまうのだ。もちろん、日本軍に徴用され、地上戦に巻き込まれた103人の硫黄島の島民たちは、まったく登場しない。
『父親たちの星条旗』には、このことを象徴するかのような場面がある。米海兵隊の将校が硫黄島侵攻に先立って兵士たちに、硫黄島は「摺鉢山以外何もない」「醜い岩の塊」でしかなく、そこに住民や社会が存在した痕跡は徹底的に排除されている。
「2部作」のもう1本『硫黄島からの手紙(Letters from Iwo Jima)』の原作は、栗林忠道中将が硫黄島から本土の家族に向けて送った手紙である。(栗林忠道著/吉田津由子編『「玉砕総指揮官」の絵手紙』)。イーストウッドはこの作品でも、先立って自滅する隊や投降せずに自決する将校たちを登場させ、戦場における死の無残さや無意味さを描いてはいる。