じじぃの「科学・芸術_809_イーストウッド『硫黄島からの手紙』」

Letters From Iwo Jima (2006) Trailer - HD

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=51lo2dpaZ_g

解説・あらすじ 硫黄島からの手紙 (2006) Letters from Iwo Jima Yahoo!映画

監督 クリント・イーストウッド
第2次世界大戦時の最も悲劇的な戦いと言われる“硫黄島の戦い”を、日本側の視点から描いた戦争映画。
硫黄島アメリカ軍を悩ませた伝説の陸軍中将である栗林忠道と彼の部下たちによる死闘が描かれる。監督は『ミリオンダラー・ベイビー』のクリント・イーストウッド。『ラスト サムライ』の渡辺謙、嵐の二宮和也ら、日本人俳優が出演する。イーストウッドが日米双方の視点から“硫黄島の戦い”を描く“硫黄島プロジェクト”第2弾作品としても注目だ。

                        • -

硫黄島 国策に翻弄された130年』

石原俊/著 中公新書 2019年発行

地上戦と島民たち――1945年 より

2006年、硫黄島地上戦を題材とするクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島2部作」(配給:ワーナーブラザーズ)が日米で公開された。2部作の公開に合わせて、日本では硫黄島地上戦にまつわる書籍や雑誌記事、テレビ報道が数多くリリースされ、「硫黄島ブーム」というべき現象が起った。この2部作が21世紀の日本社会の硫黄島認識に与えた影響は無視できない。
2部作の1本である『父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)』(原作:ブラッドリー、ジェームズ+パワーズ、ロン/島田三蔵訳『硫黄島星条旗』)は、硫黄島の摺鉢山に星条旗を掲げた6人の米海兵隊員が主人公だ。この6人は、ピュリッツァー賞を受賞したAP通信カメラマン、ジョー・ローゼンタールの報道写真の被写体となったことで、歴史的人物に仕立て上げられてしまった。(ただし米海兵隊は2016年になって、6人のうちの1人であるジョン・ブラッドリーが星条旗を掲げたメンバーに含まれておらず、人違いだったことを公式に認めている)。
     ・
「2部作」のもう1本『硫黄島からの手紙(Letters from Iwo Jima)』の原作は、栗林忠道中将が硫黄島から本土の家族に向けて送った手紙である。(栗林忠道著/吉田津由子編『「玉砕総指揮官」の絵手紙』)。イーストウッドはこの作品でも、先立って自滅する隊や投降せずに自決する将校たちを登場させ、戦場における死の無残さや無意味さを描いてはいる。
しかしながら、『硫黄島からの手紙』は、主人公が指揮官の栗林であることの必然的な結果として、戦場経験や戦場死の美化・英雄化から距離をとることには失敗している。そこでの栗林は徹頭徹尾、大本営から捨て駒にされたことを熟知しつつ、「われわれの子どもらが日本で1日でも長く、安泰に暮らせる」(劇中の栗林の台詞)ために、塹壕戦術で粘り強い抵抗を指揮した、「合理的」で「英雄的」な戦術家として描かれる。
これに対して加藤陽子は、栗林英雄史観の危険性に言及しながら、栗林率いる小笠原兵団が硫黄島で1ヵ月も持ちこたえた事実がその後、軍内の本土決戦派・徹底抗戦派のプロパガンダに利用しつくされたと指摘する(保坂正康+加藤陽子福田和也硫黄島からの手紙 新資料から立ちのぼる栗林忠道の品格」)。
たとえば、詩人で彫刻家の高村光太郎朝日新聞に発表した「栗林大将に献ず」という詩には、そうしたプロパガンダに棹(さお)さす典型的な作品であった(栗林は本土との通信を絶った後、大将に昇任している)。
  本土最後の防塁硫黄島の陣中より
  栗林大将最後の無電を寄す。
  その辞痛烈卒読に耐へず。
  食ふが如くこれを読みて
  最後の国風三首にいたる。
     ・
とはいえ、『硫黄島からの手紙』は『父親たちの星条旗』よりも、いくぶん固有性をもった人間として日本軍将校たちを描いている。さらに興味深いことに、『硫黄島からの手紙』には1シーンだけだが、強制疎開直前の硫黄島の集落(おそらく元山部落)と住民たちが登場するのだ。日本社会で硫黄島民の存在がほとんど意識されることのなかった2000年代半ばの時点で、イーストウッドが一瞬とはいえ、硫黄島に「社会があった」事実を作品に映し込んだことは画期的だったといえよう。