じじぃの「科学・芸術_776_D・E・Fishman『ナチスから図書館を守った人たち』」

ナチスから図書館を守った人たち

原書房 2019/2 デイヴィッド・フィッシュマン (著), 羽田詩津子 (翻訳)
本か、それとも命かーー
見つかれば命はない。それでも服の下に隠して守ったのは、食料でも宝石でもなく、本だった。
最も激しいホロコーストの地で図書館を運営し、蔵書と文化を守ったユダヤ人たちの激闘の記録。
ナチスは迫害を正当化するため、ヨーロッパ全土のユダヤ人から蔵書や文化的財産を略奪し、ドイツ国内のユダヤ民族研究図書館へと移送した。しかし、ドイツに送られるのはほんの一部。残りの大半は焼却され、神聖なトーラーの巻物はナチス兵の革靴に再利用された。
本書は、最も激しいホロコーストがあったポーランド領ヴィルナで、自分たちの文化が踏みにじられるのを許すまいとした通称「紙部隊」――知識人ら40名のユダヤ人たちが命をかけて闘った、知られざる歴史の記録である。
http://www.harashobo.co.jp/book/b436791.html

ナチスから図書館を守った人たち 囚われの司書、詩人、学者の闘い』

デイヴィッド・フィッシュマン/著、羽田詩津子/訳 原書房 2019年発行

本と人のための天国 より

ゲシュタボの一斉検挙、ポナリへの移送、栄養失調、耐えがたいほど狭苦しい住居といったもののさなかで、貸出図書館が機能していたと考えると、呆然とするしかない。しかし、ストラシュン通り6番地のゲットー図書館はただ開館しているだけではなく、人気が高かぅた。登録者の数はゲットーでもっとも残虐な行為がおこなわれた1941年10月に、1492人から1739人に増え、図書館は7806冊の本を貸し出した。1日平均325冊の本が借りられたのだ。かたや、貸出デスクの裏側で、スタッフは1314冊を分類した。
ヘルマン・クルク(”紙部隊”の隊長)はゲットーの図書館について、つらいパラドックスに気づいた。大量の検挙がおこなわれると、図書の貸出し数が急上昇するのだ。「10月1日、ヨム・キプルの日、3千人が連れていかれた。まさにその翌日、390冊の本が返却され貸し出された。10月3日と4日には、大勢の人々が第2ゲットーから連れていかれ、第1ゲットーは筆舌に尽くしがたい緊張状態になった。しかし10月5日、421冊の本が返却され貸し出された」読書は現実に対処し、平静さを取り戻す手段だったのだ。
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読書をする心理について、第1の動機は現実逃避したいからだとクルクは報告した。「ゲットーには1人当たりの生活空間が70センチ四方もない。[室内では]すべてが床に置かれている。テーブルも椅子もない。部屋は巨大な小包だ。人々は自分の荷物の上に寝そべっている……本は彼らをゲットーの塀を越えて広い世界に連れていってくれる。少なくとも読者はそうやって憂鬱な孤独から解放され、頭の中だけでも人生と失われた自由を味わうことができるのだ」
もっとも人気のある本は犯罪小説と大衆小説だった。とクルクは困惑しながらも寛大さを見せて記述している。消耗する生活環境のせいで、大半の読者は挑戦しがいはあるが読むのに骨が折れるような文学を手にとる気にはならないだろう。彼はゲットーの住民に人気のポーランドとロシアの大衆小説の長いリストを挙げた。西洋文学でもっとも人気のある作品は、エドガー・ウォーレスの犯罪小説とマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』とヴィッキイ・バウムのドイツ語のロマンス小説だった。フローベルやゴーリキーは誰も読もうとしないし、ドストエフスキーロマン・ロランもほとんど顧みられない、とクルクは嘆いた。
読書は麻薬であり、一種の中毒で、考えることを回避するための手段だった。

本をこっそり持ち出す技術 より

1942年6月に本と書類の廃棄が始まるとすぐに、ヘルマン・クルクは紙部隊(ナチスから図書館を守った人たち)のメンバーたちに作業場からこっそり本や書類を持ちだすように依頼した。多くのメンバーはただちに承知した。「どうせ長くは生きられない。それならユダヤ民族の本を救いだすという役に立つことをするのもいいんじゃないか」と考えたからだ。
クルクはメンバーたちの反応と初期の成果に満足した。「みんな、本を救おうとして奮闘している。1枚の紙に命を懸けるというのは大変なことだ。紙1枚で頭を撃ち抜かれるかもしれない。それでも、ここには巧みにそれを実行している理想主義者たちがいる」
あとでこっそり持ちだすために史料を別に分けておくことはむずかしくなった。建物じゅうに本や書類が山積みになっていたから、アルベルト・シュポルケットや彼の部下たちが見ていないすきに貴重な本や原稿を山の中に突っ込み、あとでとりだせばいいだけだった。ドイツ軍が部屋にいなければ、床に、”持ちだし用”の山すら作ることができた。
それぞれの労働者たちは、その場でどれをよけておいて救うかの決断を下した。熟考している時間はなかったが、経験則はいくつかあった。
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そもそも、どうして彼らは本や書類のために、命を危険にさらしたのか? 彼らによれば、文字と文化は絶対的な価値があり、個人やグループの命よりも偉大だという。もうじき死ぬにちがいないと信じていたので、残りの人生を本当に大切なものに捧げることを選んだ。たとえそうすることによって死ぬことになっても。シュメルケ(文学者グループのリーダー)にとって、本は少年時代時代に犯罪と絶望の人生から救ってくれるものだった。今度は恩返しとして、彼が本を救う番だった。アヴロム・スツケヴェルは詩は人生を躍動させる力だ、という超自然的な信念を持っていた。詩に没頭している限り、詩を書き、詩を読み、詩を救っている限り、自分は死なないと。
戦後もユダヤ民族は存続しているだろうから、文化的財産を再び手に入れる必要がある、という信念を本の密輸入たちは表明していた。誰かが生き延びて、ユダヤ文化を再構築するために、これらの品々を取り戻さなくてはならない。もっともヴィルナ・ゲットーのいちばん暗い日々には、将来そんな日が来るとはとうてい思えなかった。