じじぃの「科学・芸術_682_正義論・暴走する路面電車の問題」

The Trolley Problem 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=GwiNm2D4hIU
  What is the right thing to do?


正義論 (ロールズ) ウィキペディアWikipedia) より
『正義論』(A Theory of Justice)は、1971年にジョン・ロールズにより著された政治哲学の著作。1921年に生まれ、ハーバード大学で教鞭をとっていたロールズは本書で正義理論を展開することで、それまで停滞していた戦後の政治哲学の議論に貢献した。
公民権運動やベトナム戦争学生運動に特徴付けられるような社会正義に対する関心の高まりを背景とし、その後の社会についての構想や実践についての考察でしばしば参照されている。
公正としての正義は功利主義の原理とは異なる二つの原理から成り立っている。それは、
第一原理
政治的自由や言論の自由、身体の自由などを含む基本的諸自由を全員に平等に配分する
第二原理
・社会的または経済的な不平等を機会の均等を図りながら、最も不遇な人々の利益を最大化する(機会均等原理)
・結果的に発生した社会的・経済的不平等に対しては、最悪の状況は可能な限り改善する(格差原理)

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サイコパスの真実 感想 原田 隆之 読書メーター
「暴走トロッコ」の思考実験で、5人を救う為にトロッコを進路変更させ、別の1人を事故にあわせる選択が即座にできる人はサイコパスらしい。やはり僕はサイコパスだったか。
https://bookmeter.com/books/12717143
『正義とは何かー現代政治哲学の6つの視点』 神島裕子/著 中公新書 2018年発行
社会に生きる哲学者――これからの世界へ向けて より
これまで本書では、リベラリズムリバタリアニズム、コミュタリアニズム、フェミニズム、コスモポリタニズム、そしてナショナリズムという現代正義論の6つの立場が競合している様子を描いてきました。皆さんはどれに最も親しみを覚えたでしょうか。
ジョン・ロールズ(1921 - 2002)の『正義論』からスタートした現代正義論は、個人の不可侵なるものとは何であるかを模索すると同時に、社会的協働の産物である自由、権利、財/資源、そして義務の分配もテーマとしてきました。6つの立場は、何を誰にどう分配するのが正しいのかに関して、切磋琢磨しているのです。
人権が規範として受容された現代社会においては、人権の分配(保障)も正義論の射程に入っています。本書を通して言えることは、<対等な人間としての暮らし>を地球上の全員n保障するために、「グローバル市民権」を考える機が熟してきたということです。
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就学前の子どもたちは「金平糖(コンペイトー)みたいに色とりどり」です。それが小学校に入った途端に「みんなとおなじ」であることが求められます。教科書通りの解答が求められるなか、他者と違う言動をすると排除されてしまうという経験を重ねて、「黙っていることが得策だ」と考えるようになります。
このことは、マイケル・サンデルが取り上げる有名な「暴走する路面電車の問題」への回答に顕著に見られます。サンデルは『これからの「正義」の話をしよう』で次のように問うています。
  あなたは路面電車の運転士で、時速60マイル(約96キロ)で疾走している。前方を見ると、5人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。顔が真っ白になる。5人の作業員をはねれば、全員が死ぬとわかっているからだ。(はっきりそうわかっているものとする)……ふと、右側へとそれる待避線が目に入る。そこにも作業員がいる。だが、1人だけだ。路面電車を待避線に向ければ、1人の作業員は死ぬが、5人は助けられることに気づく。……どうすべきだろうか。
  もう一つ別の物語を考えてみよう。今度は、あなたは運転士ではなく傍観者で、線路を見下ろす橋の上に立っている(今回は待避線はない)。線路上を路面電車が走ってくる。前方には作業員が5人いる。ここでも、ブレーキはきかない。路面電車はまさに5人をはねる寸前だ。大惨事を防ぐ手立ては見つからない。――その時、隣にとても太った男がいるのに気がつく。あなたはその男を橋から突き落とし、疾走してくる路面電車の行く手を阻むことができる。その男は死ぬだろう。だが、5人の作業員は助かる(あなたは自分で飛び降りることも考えるが、小柄すぎて電車を止められないことが分かっている)……その太った男を線路上に突き落とすのは正しい行為だろうか?
これらの問いに対して、「自分が運転手だったら何もしない」「自分が橋の上から見下ろしている人だったら何もしない」という消極的ば「選択」をする人が多いようです。しかしこの消極性は、<正義とは何であるか>という問いへの関心が薄いことから生じているのではありません。そうではなく、考えること、自分の考えを述べること、他者の考えを聞くこと、そして議論を重ねることの機会が少なかったことから生じているのです。
人間の脳には、生まれつき正義のアルゴリズムが実装されているわけではありません。正義は社会のなかで学んでゆくものであり、他者とともに創造してゆくものなのです。ロールズが希望を持っているように、人間には感受性共感能力理解力があるからこそ、不正を感じ、正義を欲するのではないでしょうか。
人間がこの世界で自分と他者のために希望を持ち続けるためには、多くの哲人市民の支えが必要です。現代社会において、正義は哲学と民主主義の協働の産物ですが、その公共的使用の方法を学校では教えてくれないとしたら、自分たちで学ぶしかありません。
現代正義論はそのためのツールであると言えます。