渋谷ハロウィンを楽しむ外国人「 Halloween」 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MRDWyedPYoQ
ハロウィン ウィキペディア(Wikipedia) より
ハロウィン、あるいはハロウィーン(英: Halloween)とは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。
古代ケルトのドルイドの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン祭であった。ちょうど短い日が新しい年の始まりを示していたように、日没は新しい日の始まりを意味していた。したがって、この収穫祭は毎年現在の暦で言えば10月31日の夜に始まった。
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『ケルトの水脈 (興亡の世界史)』 原聖/著 講談社 2007年発行
「異教徒の地」の信仰 より
太陽が全能神であり、地上におけるその象徴が火である。かまどの神としてギリシャではヘスティア神、ローマではウェスタ神が知られているが「ドルイド」と呼ばれるケルトの祭司たちは、太陽賛美の儀式を夏至の日に行ったという。これがキリスト教によって、6月21日の夏至の日から、24日の聖ヨハネの日の宵祭りの火に置き換えられ、続けられることになったと各地でいわれている。古代ゲルマンの夏至祭りの変容形とみるむきもあるが、キリスト教以前に夏至祭りが火祭りとして祝われていたのは確実であり、その背景を提供する異教の神々の多さを見ても、これも民間信仰的な太陽信仰の名残りと考えたほうがよさそうだ。
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ブルターニュでは骸骨が普通の景観としていたるところに存在する。少なくとも19世紀まではそうだった。キリスト教では教会の敷地内に墓地があるのがもともとの姿だが、人口が増えると墓が足りなくなり、教会の外に新たに墓地を作るか、古い墓地の遺骨をまとめて納骨堂に納め、敷地内に墓地を改めて作ることがすでに中世には行われていた。さらに納骨堂がいっぱいになると、古い遺骨をまとめて共同墓地に埋葬してしまう。これを「第2の葬式」というが、この地域では、ほぼ30年おきに、万聖節(11月1日)の日に行われた。
フランスでは17世紀以降、りっぱな納骨堂が各地に建てられたが、19世紀には軒並みつぶされていく。福音主義を説く教会が、死の恐怖心をあおるのを禁止し、死を想起させる骸骨などの存在を一掃しはじめたためである。だがブルターニュではそれが大幅に遅れた。その理由が「アンクウ」だと考えられる。
アンクウ(画像参照.鎌を持つアンクウ)とは、死を体現する存在であり、死者の枕元の現れ、死者の魂を荷車に乗せて運んでいく。15世紀のブレイス語の戯曲「聖女ノナ伝」に、「アンクウ」すなわち人間の原罪を罰するために神が創造したアダムの息子とあるのが初出である。といっても一般的には死の化身と理解され、もっぱら骸骨の姿で描かれる。語源的には、あの世を意味する「アナオン」(ブレイス語)、「アンヴン」(カムリー語)と関連するはずである。ほかの地域に類似する死神が存在しないわけではないが、「アンクウ」はブレイス・イーゼル独特のキャラクターである。
アルロッホ・モルヴァン村の礼拝堂の聖水盤に描かれるアンクウは、「私はあなた方みんなを殺す」とある。恐るべき脅迫者である。アンクウの荷馬車のきしむ音は死の予兆であり、恐怖心をかきたてる。このイメージは、17世紀以降の宗教改革期に出現したものだろう。
その一方で、民話では名づけ親となり、結婚もし礼拝にいく。だまされることもあり、それを怒ったりもする。プルミリオ村の教会のアンクウは、「エルワニック(エルワンさん)」と親しみを込めて呼ばれ、教区の人々はこの像に奉納も行う。このように身近に親しみやすい存在でもある。こちらはおそらく起源の古い、いわば民俗的死神イメージなのかもしれない。
ルブラースは、このような二面性を持った「死の宗教」はケルト的伝統が下敷きになっているとする。ケルト的かどうかは別にしても、この地方の人々の死後の世界のイメージは、一般的キリスト教とはかなり違う。