じじぃの「神話伝説_155_アメリカの大統領(キリスト教)」

ブッシュ元大統領

キリスト教」が左右する米国大統領選 2000年2月号 新宗教世界地図
昨年12月に行われた共和党のテレビ討論で、司会者に「最も尊敬する哲学者は?」と聞かれたブッシュは「キリスト」と答え、さらに「救世主キリストを受け入れれば、心も人生も変わる。それを私は経験した」と自らの“宗教体験”を説明した。民主党のゴアもそうだ。何らかの問題に直面すると「W.W.J.D?」と自問すると発言している。「W.W.J.D?」とは「What would Jesus do?(イエスであれば、どうされるだろうか)」の略語だ。
http://www.fsight.jp/6496
キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理』 石川明人/著 中公新書 2016年発行
「軍人の使命感は牧師の召命感と同じ」 (一部抜粋しています)
1648年のウェストファリア条約以降、宗教の名による戦争は抑制されるようになったが、宗教としてのキリスト教そのものが修正・改良されたわけではない。聖職者と戦士とを似たものとして捉える見方は、決してヨーロッパ中世における一時的な流行として消え去るものではなかった。もちろんかつてとは程度が異なるが、いちおう現代においてもキリスト教と軍事とが密接に関わりうることを示す例として、アメリカに目を向けてみよう。
周知のとおり、アメリカはキリスト教の色彩が濃厚な社会である。国教はなく、信教の自由も保障されており、さまざまな宗教の信者がいる。最近は「キリスト教離れ」が進んでいるとも言われているが、それでも、総人口に対するキリスト教徒の割合は、75パーセントとも80パーセントとも言われている。
一方で、アメリカは極めて大規模な軍隊を保有する国の1つでもある。空母、戦闘機、潜水艦、ミサイル、軍事衛星など、その装備の質は他国を圧倒しており、これまで多くの戦争や軍事介入を繰り返してきた。人類史上初めての核兵器を使って民間人を大量虐殺したのも、アメリカである。
もちろんアメリカのキリスト教は、決してキリスト教そのものを代表するわけではない。何を基準に考えるかにもよるが、キリスト教アメリカという国において、独特なスタイルで発展したと表現する研究者もいる。だが、それでもそれは依然として愛と平和を祈るキリスト教であることに変わりはないはずである。
アメリカでは、しばしば大統領の信仰が関心や議論の対象とされることはよく知られている。大統領の信仰は、大統領に対する信頼の根拠となりうるのだ。篤(あつ)い信仰をもっていれば、神が必ずその人を正しい政策へ導く、と考える人々が多いからである。大統領は、「アメリカ軍最高司令官」でもあることを考えれば、彼らのキリスト教信仰は注目に値するものであろう。
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2000年の大統領選挙では、ブッシュは自らを聖書における「放蕩息子」の譬えに重ねて語ってみせた。かつては誤った道を進んでいたことをあえて語ることで、今は神のもとにいるということ、つまり自分の政策は正しいのだということを表現しようとしたのである。さらに、どの政治家が好きか、という質問に対しても「イエスだ」と答えたことで、福音派の人々の支持を広く得たと言われている。
こうしたブュシュの信仰的態度は、アメリカでは決して珍しいものではない。ブュシュはアカデミックな神学にはほとんど興味がなく、その信仰は知的に洗練されたものではなかった。それでも彼が信仰熱心なことについて多くの人は好感を抱いたのである。2001年9月11日の同時多発テロ以後、ブュシュはアフガニスタンに軍隊を派遣し、2003年にはイラク戦争に踏み切る。ブュシュが「イラクの自由作戦」の発動に何の躊躇もなかったとは言い切れないだろうが、しかし現にそれが実行された以上、戦争という殺人と破壊の行為が、信仰的にも正当化されたと考えざるをえない。
ブュシュは自らの回心体験を繰り返し語ったと述べたが、「回心」が重視されるのはアメリカのキリスト教文化における大きな特徴の1つである。
17世紀初頭にピューリタンたちが植民地建設を行い、基本的には敬虔な信仰に基づく社会形成を目指した。だが、時代がたつにつれて人々の信仰心は薄まっていき、教会の存続さえ危ぶまれるようになっていった。そこで18世紀前半から、牧師たちによって信仰を再度復興させようとする運動が始められた。彼らは各地で伝道集会を開き、神の怒りや最後の審判を説き、人々に回心を迫り、それによって多くの人が信仰を新たにしたのである。
重要なのは、この信仰復興運動は狭い意味での宗教の問題にとどまるものではなかった、という点である。というのも、それまで人々は、各植民地や出身地ごとにそれぞれのアイデンティティをもっていたが、信仰復興運動によって説教者たちは植民地全土を巡回し、地域や民族や教派をこえた運動をしたので、それぞれをつなぐ連帯意識を生み出し、やがては「アメリカ人」という新しいアイデンティティをもたせることにつながっていったからである。したがって、これは宗教の問題でありつつも、同時に政治的な意義や効果をもった出来事だったとも言える。