じじぃの「科学・芸術_414_穴居人の原理」

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『フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する』 ミチオ・カク/著、 斉藤隆央/訳 NHK出版 2015年発行
心が物を超越する より
リバースエンジニアリング( 競合者の新製品を購入してきてそれを分解し,その製品における製品技術を読み取るエンジニアリング活動のこと)で再現された脳を正気に保つには、環境からの信号を受け散るセンサーを脳につないで、外界から視覚や触覚などの感覚を味わえるようにすることが欠かせない。だが一方で別の問題も浮上する。脳が自分をグロテスクな怪物、科学実験にもてあそばされて生きる不格好なモルモットだと思ってしまう可能性があるのだ。この脳は元の人間と同じ記憶と人格を持っているから、トノトノ接触を強く望むだろう。ところが、リバースエンジニアリングで再現された脳は、スーパーコンピュータのメモリにひそみ、電極をじゃらじゃら垂らした気味の悪い外見なので、どの人間からも嫌がられることになる。この脳と仲よくなるのは無理だろう。友達は顔をそむけるはずだ。
ここで、私が「穴居人の原理」と呼ぶものが働き出す。なぜこれほど多くの合理的な予言が外れるのか? そしてなぜ人はコンピュータのなかで永遠に生きたくないと思うのか?
穴居人の原理とは次のようなものだ。ハイテク(先進技術)かハイタッチ(人間同士の触れ合い)かを選択できるのなら、われわれはいつでもハイタッチを選ぶ。たとえば、大好きなミュージシャンのライブのチェットか、同じミュージシャンのコンサートCDかを選択するとしたら、どちらを選ぶだろう? あるいは、タージ・マハルに行けるチケットを手にするか、その美しい写真を見るだけかなら、どちらがいいか? きっと、ライブコンサートと、飛行機のチケットを選ぶだろう。
これは、われわれが類人猿に近い祖先の意識を受け継いでいるからだ。基本的な人格の一部は、最初の原生人類がアフリカに現れて以来、現在まで10万年のあいだ、おそらくあまり変化していない。われわれの意識の大部分は、見た目を良くして、異性や仲間に良く思われることに向けられている。これはわれわれの脳に組み込まれているのだ。
おそらく、人間の意識が基本的に類人猿に近いと考えれば、われわれがコンピュータと融合するのは、それが現在の身体を強化するが、完全には身体にとって代わらない場合に限られるはずだ。
穴居人の原理を用いれば、なぜ未来の預言のなかには合理的なのに実現しないもがあるのかも説明できるだろう。たとえば「オフィスのペーパーレス化」だ。コンピュータの登場でオフィスから紙が一掃されるように思われたが、皮肉にも、コンピュータのせいで実際には紙がさらに増えた。それた、われわれが「獲物の証拠」を必要とする狩人の子孫だからだ(つまり、われわれが信頼を置くのは具体的なあかしであって、電源を切れば消えてしまうような、コンピュータの画面でつかのま踊る電子ではないのである)。同様に、人々がバーチャルリアリティを利用し、通勤せずに会議するという「無人の街」も、まったく実現していない。都市への通勤は前よりひどくなっている。なぜか? われわれが、他人と絆を結びたがる社会的な動物だからだ。テレビ会議は便利だが、仕草が与える微妙な情報を全部拾い上げることはできない。上司は、部下の問題を探り出したくて、彼らが問いただされてもじもじしたり汗をかいたりするのを見たいと思うかもしれない。これはじかに顔を合わせていなければ無理だろう。