じじぃの「科学・芸術_405_映画『野菊の如き君なりき』」

野菊の如き君なりき(予告) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5RvPQUCnKps
映画 「野菊の如き君なりき」


野菊の如き君なりき|木下惠介の全作品 木下惠介生誕100年 松竹株式会社
●あらすじ&解説
原作:伊藤左千夫
久々に故郷を訪れた老人が、今では遠き少年の日々を回想していく……。
旧家に育った政夫には2歳年上の従姉・民子がいた。ふたりは淡い恋心を募らせていくが、それに気づいた大人たちは民子に縁談の話を持ちかけ……。
https://www.cinemaclassics.jp/kinoshita/kinoshita_100th/content/filmdetail/25.html
『巨匠たちの映画術』 西村雄一郎/著 キネマ旬報社 1999年発行
叙情のテクニック より
木下惠介監督自身は、最も好きな自分の作品として、母子の対立を冷徹に見据えた「日本の悲劇」、戦国時代の無常感を漂わせた「笛吹川」、そして封建制度によって、残酷に崩される恋愛を端正に描いた「野菊の如き君なりき」の3本をあげている。
そのほかにも、戦争の非人間性を弾劾した「大曽根家の朝」、犯されて結婚させられた夫を延々と恨む妻を主人公とした「永遠の人」などは忿懣やるかたなき憎悪を燃え上がらせた激情の映画である。こうしたハードでリアリストの視点を持った作風が木下自身も認める、彼本来の真骨頂である。
ところが、一般的にはその逆の、叙情的で、繊細で、センチメンタルとも言えるほどのロマンを持った作風が、木下の特質だと思われている。これは12人の子供たちと教師の心温まる情感を描いた「二十四の瞳」が国民的映画と言われるまでに大ヒットしたためで、以後、松竹は客の喜ぶこうした作品を、木下惠介にさかんに撮らせようとした。
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「野菊の如き君なりき」の舞台は、伊藤左千夫の原作では、千葉県松戸であったが、映画では信州の善光寺平に移されている。これは、信州を舞台にした作品が多かった松竹鎌田自害の映画を、木下は少年時代から見て、その風景にあこがれを抱いていたからである。
もっとも、これら各地・各都市の自然と景観をじっくりと写すには、相当の時間と予算がかかったはずである。「野菊の如き君なりき」の時などは、快晴(ピーカン)になりすぎて、気に入った雲がでないから、撮影は即刻中止。雨でもないのに朝から麻雀が始められたという。当時は、雲の形にまで執着できるほど、悠長な時代でもあったのだ。
さて、こうして作られたワンカット、ワンカットの構図はすばらしい。よくこんな撮影場所が見つかられたと思うくらい、山の形、木の位置、花の咲きぐあいが絵を描いたように決まっている。
その例は枚挙にいとまないが、強いてあげれば「野菊の如き君なりき」における、雨のなかの船の別れのシーンなど、墨絵としか思えないほどの、いい意味での絵はがき的な風景がピシャリと、とられられている。また「二十四の瞳」の海岸線をいく船の、のんびりした動きとか、ザワザワと風に揺れる木々の動きなどにリアリティーがあって、薫るような叙情性をいやがうえにも高めている。
風景の構図を勉強しようと思ったら、木下映画は最高の教科書となるだろう。
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「野菊の如き君なりき」の回想シーンで使われた技法は、一名”タマゴスコープ”とも呼ばれ、いまだに語り草になっている。つまり、画面をだ円形の白いボカシで囲むのだ。これはカメラの前に、穴をあけたセロハン紙をつけて写す”センターフォーカス”のだ円版というべき手法だ。
実際の映画でも、編集時にボカシが入れられたのではなく、撮影時に辞書などで使う半透明のインディアンペーペーがカメラの前に設置された。撮影助手の成島東一郎カメラマンの話によると、各カットのボカシの白い色が同じになるよう、照明で調節するのがたいへんだったそうだ。
このだ円形センターフォーカスは、明治時代の肖像写真を見るような、古風で幻想的な感触を呼び起こさせ、明治という過去の雰囲気をみごとに浮かび上がらせる結果となった。
ところで、この手法を生みだした理由が、いかにも反骨の人・木下らしい。つまり、この映画が作られた昭和30年に、シネマスコープ最初の芸術作品と言われた外国映画「エデンの東」(55年)が公開され、巷の話題を呼んだ。そこで木下は、そんな横に長いダダっ広いサイズじゃなくても、狭いサイズだって作品はできる、俺のサイズは普通サイズより、もっと狭くしてやろう、と思って発想されたという。
確かにシネマスコープは、集中力が内から外へ拡散していくが、タマゴスコープは逆に、集中力が内へ内へと沈み込んでいく。またこの狭さは、封建制度にがんじがらめに縛られた窮屈な世界の象徴でもあるかのようだ。その意味で、封建性も含め、日本的なるものをじっくりと見つめ、日本的情緒を凝縮していこうとする作品のテーマに、この手法はピタリと一致していたのである。