ダイアモンド博士の“ヒトの秘密” 第7回「農業は人類に何をもたらしたのか」 動画 Dailymotion
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Jared Diamond The Third Chimpanzee
Leaf-cutter ant
ダイアモンド博士の“ヒトの秘密 「7 農業は人類に何をもたらしたのか」 2018年2月16日 NHK Eテレ
第7回のテーマは「農業」。
狩猟採集の生活から農業への移行は、ヒトの暮らしを大きく変え、文明発展の基礎となった。一方、農業はヒトの体や社会に、大きな問題も引き起こしてきた。農業は人類をどう変えたのか。ダイアモンド博士が生徒たちと明らかにする。
博士 農業は自分たちの食料を栽培することです。1万2000年前まではなかったことです。今日は私たちの歴史で最も大きなライフスタイルの革命、狩猟採集民から農業の変換についてお話しましょう。以前、言語やアートのお話をしましたが、人間だけがやっている特別なものだと思ったら、実は他の動物もやっていたという例は結構あるんです。農業もその1つ。たとえばありの仲間のハキリアリ(Leaf-cutter ant)です。ハキリアリの写真。このアリはまさに葉っぱを切って、しかも運ぶのです。
ハキリアリは北米から中南米に生息しています。1つの群れでおよそ数百万匹が集団生活。切った葉っぱを地下の巣に運び込みます。そこで葉っぱの断面に繁殖する菌類を育てているのです。
新しい暮らしの始まりは?
博士 農業は発明されたものではないということを覚えておいてください。農業は狩猟採集民がたまたまやっていたことの副産物だったのです。例を挙げましょう。豆はさやに入っています。豆のさやには成熟し、さやが裂ける場合に、さやの中にしまったまま枝に残るものがあります。100個に1個ぐらいの割合。遺伝子の突然変異によるものです。
それを見た狩猟採集民は地面に落ちた豆より、収穫しやすい変異した裂けないさやを取り持って帰ります。彼らのキャンプ周辺でさやがこぼれ落ちる。そして狩猟採集民が翌年その場所に戻ると豆が生えて、しかもさやが裂けないありがたい豆です。狩猟採集民は豆の遺伝や突然変異についての知識をもっていたわけではありません。さやが裂けずに枝についている豆を持って帰ったら、それが育っただけなんです。しかし、結果的には狩猟採集民はさやが裂けないように変異した珍しい豆を選んでいたことになります。
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『若い読者のための第3のチンパンジー』 ジャレド・ダイアモンド/著、秋山勝/訳 草思社文庫 2017年発行
農業がもたらした光と影 より
まず、大半のアメリカ人やヨーロッパ人なら、農業はよいものであり、進化の道しるべだという伝統的な考えにはうなずいてくれるはずだ。私たちは、人類の歴史上もっとも豊富で多彩な食べ物を堪能し、道具も材料も1番のものを使い、もっとも寿命で健康的な生活を送っている。この生活と1万年前に生きていた人間の生活を誰がいったい交換したいと思うだろう。
人類の歴史の大半を通じ、人という人は狩猟採集民として、野性の動物を狩り、野性の食べ物を集めて生きていく生活を強いられた。従来からの歴史観では、狩猟採集民の生活スタイルは野蛮で短命とされている。食べ物を育てることはなく、貯蔵する食物はごく限られ、手間のかかる食料探しに奮闘し、飢えから逃れようと必死だった。日々そうした戦いが続くため、気を抜ける日は1日としてない。こうした悲惨な状況から逃れられたのは、最終氷河期の終わりのことである。世界の各地域で自発的に植物を栽培して、動物の家畜化が始まった。農業革命は徐々に広がっていき、今日ではごく少数の狩猟採集民の部族が生き残っているにすぎない。
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進歩派の見解では、農業によって健康と長寿、安全と余暇、そして偉大な芸術が私たちにもたらされたと言われる。もっともらしい説だが、しかし、これを証明するのは容易ではないだろう。1万年前に狩猟をやめ、農業を始めた人びとの生活がよくなったと、いったいどうやって明らかにすることができるのだろうか。
ひとつの方法は、農業が伝播していく様子を調べてみることだ。それほど偉大なものなら、農業はたちまち広がっていったと考えられる。だが、考古学の研究が明らかにするのは、農業がヨーロッパに進行していくペースは1年に約1000メートル、まさにカタツムリが地をはうようなペースで進んでいった。農業の起源は紀元前8000年前後の中東で、そこから西北に進んでギリシャに達したのが紀元前6000年ごろ、イギリスやスカンジナビアにたどり着いたのはそれからさらに2500年後のことだった。これを熱狂の波と呼ぶにはいささか無理がある。
検証のもうひとつは、現在の狩猟採集民は本当に農民よりも不自由な生活を送っているのか、それを調べてみるというアプローチだ。世界中に狩猟採集民はちらばっているが、もっぱら住んでいるのは農業に不向きな地域であり、たとえば南アフリカのカラハリ砂漠に住むブュシュマンは、最近まで狩猟採集民として生活を送ってきた。だが、こうした狩猟採集民はおおむね余暇の時間をもち、たっぷり眠り、近くに住む農民よりも仕事に駆り立てられてはいなかったというから驚きだ。
たとえば、ブュシュマンの場合、食べ物を探すために費やす時間は週平均12時間から19時間ほどでしかなかった。近隣の部族のように、なぜ農業に手を出さなかったと尋ねられ、ブュシュマンの一人は「モンゴンゴの実が山のようになっているのに、なんで植えなきゃならないんだ」と答えていた。
ただ、農業に対して、従来からの進歩的な見解とはうらはらな極端な結論に走り、狩猟採集民の暮らしはのんびりしていたと言うのは誤りだろう。食料を見つけただけでは十分ではないのだ。食べるためには調理が必要で、そのためには時間んもかかる。とはいえ、狩猟採集民は農民よりも休みもなく働いたというのもやはり誤解にほかならない。
もうひとつ、栄養という違いもあるだろう。農民はもっぱら米やジャガイモなどの作物を食べていたが、これらは炭水化物にかたよっていた。野生の植物と動物の混合からなる狩猟採集民の食事では、タンパク質が多く、ほかの栄養素とのバランスもいい。健康面では狩猟採集民の食事のほうが優れていて、病気で苦しむことはほとんどない。さまざまな食事を楽しみ、食料不足や飢餓を経験することもなかった。
農民の場合、限られた品種の作物に依存していたのでたびたび飢饉に見舞われている。ブュシュマンが食べていたのは85種の植物、餓死というものが想像もつかなかっただろう。アイルランドでは1840年代、疫病によってジャガイモが枯死してしまうと、約100万人の農民とその家族が飢え死にした。ジャガイモはアイルランドの主要な作物であり、主食でもあった。