じじぃの「科学・芸術_396_ヒトの秘密・寿命と閉経の謎」

ダイアモンド博士の“ヒトの秘密” #6「不思議いっぱい ヒトの寿命」 動画 Dailymotion
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Jared Diamond The Third Chimpanzee

有袋類マウス

ダイアモンド博士の“ヒトの秘密 「6 寿命の謎」 2018年2月9日 NHK Eテレ
第6回は寿命について。
ヒトの人生、そして動物の一生の長さは、どうやって決まるのか。なぜヒトは人生の半ばで子どもを産まなくなるのか。そこには、進化によって緻密に設計された生と死のメカニズムがあると言われる。ダイアモンド博士が、命の謎に迫る。
博士 怪我をして何も手当をしなかった場合、体はどのような修復作業を行うのでしょう。
生徒 骨は折れても治ります。
博士 そのとおり。骨を折ると治療してもらう必要があるけど、骨は自分自身で治す。
トカゲの写真。
博士 ヒトが修復できない例です。トカゲは尻尾を自分で修復して再生します。私たちも腕や足を失った時、なぜ再生できるようにしなかったのでしょう。ヒトの場合、足を再生させて修復させる理由がなかったということです。結局、体の再生はコストの最適化と関係しています。
博士は生物による体の修復とその効果について、コストの最適化というビジネス用語を使って説明します。
”繁殖”と”修復”のバランス
私たち動物は子孫を残す仕組みが整っているからこそ、いま地球に存在しています。
自分の身体を修復することと、子どもをつくることにバランスよくカロリーを配分する仕組みが確立しているはずだと、博士は考えているのです。
博士 たとえば、オーストラリアに生息する有袋類マウス。彼らはネズミの仲間ではありません。カンガルーの仲間です。ネズミのような小さな体ですが、彼らの生き方はとてもユニークです。彼らの寿命は1年なのです。1歳になると体の修復を止める。すべての時間を交尾に費やします。目的は出来るかぎり多くのメスを妊娠させること。何も食べず、体の修復もないので、3週間も経たない間に死んでしまうのです。
有袋類マウスは自分の寿命を犠牲にしても多くの子どもを残す戦略をとることで種として残っているのです。
博士 もし、明日に死ぬということが分かったら体の修復することは無意味です。カメの場合は堅い甲羅で守られているので、修復して長生きする価値があるのです。
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=13266
『若い読者のための第3のチンパンジー ジャレド・ダイアモンド/著、秋山勝/訳 草思社文庫 2017年発行
人はなぜ歳をとって死んでいくのか より
ヒトにもっとも近しい類人猿の親戚に比べると、人間はとてもゆっくりしたペースで歳をとっていく。最近のアメリカ人の平均寿命まで生きた類人猿は、どのような種類であれ1頭も記録されていない。例外的にひとにぎりの類人猿が50代まで生きているぐらいである。ヒトの加齢のペースが遅くなったことは、6万年前の大躍進のころにきざしはじめていたのだろう。ネアンデルタール人は40歳以上生きることはまれだったが、あとを継いだクロマニヨン人になると、60歳以上生きる者も少なくなかった。
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進化によって説明できる老化現象のなかでも、その鍵となる例として、ヒトは出産年齢の期間を過ぎても生きているという、人間のもつきわえてユニークなライフサイクルの特質について見てみよう。自分の遺伝子を次の世代に伝えることが進化を促す原動力だ。繁殖を終えた年齢を過ぎても生きつづける動物はほとんどいない自然は、繁殖が終了した時点んで死が起こるようにプログラムしている。これ以上子どもが産めなければ、次の出産に備えて体の修理を万全に整えても、進化的な価値はもうないからである。
それだけに、どうして人間の女性だけは、閉経後も何十年と生きるようにプログラムされているのだろうか。そして、なぜ人間の男性の大半は、父親として育児に精力的にかかわれなくなった年齢まで生きつづけるようにプログラムされているのだろう。
答えは人間の子育て法にある。ヒトの場合、子どもの世話にかかりきりになる期間が異常に長く、20年近くも続くからである。自分自身の子どもがすでに成人に達した老人も、こうした子どもたちにとっては欠かせない存在だ。自分の孫やほかの子どもの面倒をみることを助けるのは、単に自分の子どもや孫が生き延びていくだけではなく、部族全体が生きていくうえでも欠かせない貢献となっていた。とりわけ、文字が発明される以前の時代では、老人きわめて大切な知識を伝承する担い手だった。
こうした理由から、人間は比較的歳はとっていても、体はかなり修復可能な状態でいられるように自然によってプログラムされ、女性にいたっては、閉経後、これ以上子どもが産めなくなっても体は使えるようにあらかじめ仕組まれているのだ。
とはいうものの、自然淘汰は、そもそも女性になぜ閉経が訪れるようにプログラムしたのだろう。ヒトの男性、それにゴリラとチンパンジーでは両性を含め、たちていの哺乳類では、繁殖活動は歳とともに徐々に衰え、最後にはなくなっていく。閉経を迎えて、突然、繁殖能力を終えてしまうのは唯一ヒトの女性だけなのだ。自然淘汰の点では、最後の最後まで繁殖能力をもちつづけた女性のほうが有利なはずではないのだろうか。
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現代人の長い寿命は、食べ物を得たり、捕食動物と戦ったりするために道具を使うような文化的適応にだけ負っているわけではない。閉経や自己を修理するために投資を増やしていったような生物学的適応のおかげでもあるのだ。こうした生物学的適応が大躍進の時代に起きたのか、あるいはそれに先だって起きていたにせよ、この適応はヒトが第3のチンパンジーへと変わっていく生命の歴史の変化のなかでも、とりわけ上位にランクされるものなのである。