じじぃの「人の生きざま_767_平尾・昌晃(作曲家・歌手)」

作曲家・歌手の平尾昌晃さん死去 「カナダからの手紙」 2017年7月22日 朝日新聞デジタル
よこはま・たそがれ」「瀬戸の花嫁」など多くのヒット曲を生んだ作曲家で歌手の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが、21日夜、東京都内の病院で、肺炎のため亡くなった。79歳だった。
関係者への取材でわかった。1週間ほど前から体調を崩し入院していた。
https://www.asahi.com/articles/ASK7Q6FJLK7QUCVL005.html
瀬戸の花嫁小柳ルミ子 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vZf40gqcT70
平尾昌晃と畑中葉子/カナダからの手紙

平尾昌晃の歌詞一覧リスト uta-net
https://www.uta-net.com/artist/3706/
『月刊WiLL 2018年1月号』
日本の作曲家物語 平尾昌晃(2) 洋楽カバー全盛期にいち早く新境地を拓く 【執筆者】長田暁二 より
平尾昌章(原・昌晃)、山下敬二郎ミッキー・カーチスの”ロカビリー三人男”が人気を博していた昭和30年代前半は、誰もがアメリカの歌のカバーに血道をあげていました。そんなとき、友人の勧めもあって平尾はオリジナル曲「星はなんでも知っている」で活路を見出したのです。これが終生のヒットメーカー・平尾昌晃の誕生でした。
30年8月、アメリカ映画「暴力教室」が封切られ、31年6月、エルヴィス・プレスリーの「ハートブレーク・ホテル」が日本でも発売され、33年9月にはポール・アンカが来日して、ロカビリー旋風は最高潮に達しました。
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エスタンのテイストが日本人にあったのでしょうか。あるいは平尾の独特の舌足らずの甘い唱法が受けたのでしょうか、はたまた歌の間に挿入した”あの娘を泣かせたのはおいらなんだ……”の自作自演の鼻にかかった台詞に女の子が熱狂したのでしょうか、この曲は当時としては記録破りの50万枚を超える大ヒットになりました。また、音楽センス抜群の平尾は仲間の津々美洋の感化を受けて35年、初めて作詞・作曲した「ミヨチャン」を発売し、40万枚のヒットになりました。今聴けば、どこか素人っぽいですが、これが平尾のメロディの原点になったのです。
平尾の作曲による「瀬戸の花嫁」は小柳ルミ子のデビュー第4作として、昭和47年4月10日、ワーナー・パイオニアから発売されました。折から、地方の古きものの中から日本の美を見直す国鉄のキャンペーン”ディスカバー・ジャパン”の時流にうまく乗って大ヒットしました。歌謡曲といっても気品があり、純和風のなじみやすいメロディです。
45年に宝塚音楽学校を首席で卒業した18歳の小柳ルミ子は、渡辺プロダクションに入り、各方面から注目されました。「どうしても歌をやりたい」という彼女を紹介された平尾は第一印象を「頭の回転が速く、なにか人をひきつける顔をしていて、どことなく日本的な伝統を持っている」と話しています。かねがね平尾は「好いた、別れただけのラブ・ソングだけでなく、心のふるさとをイメージした新しい日本のメロディを書いてみたい」と思っていました。今、目の前にいる小柳が、自分の郷愁を誘うメロディを歌ってくれるのにぴたりの歌手だと感じました。
「それでは声を聞かせて」と、初めて彼女の歌を聴いてみると「魅力的な声、艶があり、張りがあり、ことに高音が素晴らしく、そのうえ、音域が広い」と天性の輝きに心を打たれたのです。そうして完成した「わたしの城下町」(安井かずみ詞)で、小柳ルミ子は46年4月にデビューしました。
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山上路夫を交えて雑談をしました。「ルミ子が結婚したらどんな花嫁さんになるだろうかなー」とか「小舟に乗って別の島に嫁入りする」とか語り合っていました。するとスタッフの一人が「いっそのこと、その2つを一緒にして『瀬戸の花嫁』にしよう」とアピールしました。「それそれ! それでいこう」と盛り上がり、まずタイトルがすんなりと決まったのです。制作陣は「こんな感じ、こういう狙い」と打ち合わせをしただけで、改めて歌を作り直すことになりました。
詞・曲の同時進行という試みでしたので。山上の歌詞作りと並行して、平尾は平尾で独自に小柳のイメージで作曲の作業を進めていました。ほぼ同時にできた詞と曲とを合わせてみると、何と驚いたことにサビの前までピッタリ合って、ほとんど直す部分もありません。それではというので、残りを補足して完成したのが、
 瀬戸は日暮れて 夕波小波……
の「瀬戸の花嫁」です。平尾はこの時の様子を、自著『気まま人生歌の旅』(廣済堂出版)の中で「熱愛結婚の男女みたいにぴったり結合したわけ。すっかりうれしくなって、山上さんと顔を見合わせて大笑いしたもんだ。ルミ子の歌へのイメージが一致したという証明だろうね。詞・曲の同時進行はその後、いろんな作詞家とやったけど、これほどうまくいった例はない」と記しています。2人の若い才能の以心伝心ぶりがうかがえます。
瀬戸の花嫁」は結婚披露宴で新婦の友達が今でもよく歌う、フォーエバーソングになりました。