じじぃの「科学・芸術_284_ドイツ人気質」

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ドイツZDF「OECD大人の学力調査結果にショック。一体何故?」 2013年10月 9日 テレビにだまされないぞぉ
女子アナ「ヨーロッパ随一の経済大国ドイツは、読解力は平均以下。そして数学的な思考力を少し上回る結果だったということです。一体何故なのでしょう?ドイツZDFのリポートをご覧いただきます。」
OECD(経済協力開発機構)は学習到達度調査を定期的に行い、若者の知識度を調査しています。今回初めて成人を調査しました。その結果は驚くべきものでした。 24ヵ国で16万6000人の調査を行いました。
ドイツはどの位置にいるのでしょうか。読解力ではドイツは平均以下。数学は平均を少し上回っています。
コンピューターの使用能力では平均を明らかに上回っていますが、総合的には生徒に対する調査同様、日本人とフィンランド人がトップを占めています。
http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/l-cf51.html
『ドイツ人のまっかなホント』 S・ツァイデニッツ、B・バーコウ/著、迫光/訳 マクミランランゲージハウス 1999年発行
公私の区分 より
ドイツ人の直截でぶしつけな物言いには、ときに驚かされるかもしれない。ドイツ人は、体質的に間違ったことやミスを起こすことに耐えられないのだ。
何事にも唯一の正しい答えがあると確信しているため、多様な意見の存在を容認できない。相手が間違っていると思えば、ためらわず反論する。それも、「それはどうかと思いますが……」などと物柔らかにではなく、「それは間違いだ!」という身もフタもない言い方で。
ドイツ人は、気に入らない点があればはっきり言うべきだと考える。相手の感情を斟酌したりはしない。なぜなら、感情とは私的な事柄であり、公的な場では何の意味も持たないからだ。イギリス人は、いわばボクシングのスパーリングのように身軽にことばを打ち交わすが、ドイツ人にはそうしたやりかたは通用しない。どうしてほしいのか、額面どおりのことばで直截明快に告げねばならない。ドイツ人は思うことをそのまま口にするし、口にされたことばはそのものずばりの意味である。たとえば、「いま、何時か解りますか?」と訊ねれば、こう答えるだろう。「はい、解ります。」
脅迫観念 より
ドイツ人は何にもまして車を愛する。こうした熱烈な愛情をイタリア人は子供に向けるが、ドイツ人は逆に、車が通りで安全に遊べるよう、子供たちを外に出さない。
ドイツの車は甘やかされ、ピカピカに磨き上げられている。洗ってもいない車を平気で乗り回すのは、血も涙もない根っからの人でなしか、あるいは外国人だけだ。汚れた車に乗るような人間は、どこへ行っても冷たい目で見られ、睨みつけられる。
ドイツ人にとって、車は単にステイタスを示すものではなく、自分そのものである。死活問題どころではない。オペルに乗っている人はBMWに乗っている人から見下されており、ポルシェに乗っている人は見かけ倒しで信頼できないと思われがちだ。当然のことながら、堂々として頑丈で品位のあるメルセデス・ベンツが最高位に君臨している。ドイツ全土で、ベンツは、博士だの教授だの取締役だのという高価な荷を運んでいる。疑いなく、車は現金以上に雄弁に持ち主について語るのである。
大きな歴史的事件さえ、車によって象徴され、車の伝説としてまとめられる。共産主義の崩壊は、ドイツ人の心の中では永遠に、壁が壊れるやいなやその割れ目から溢れ出てきたトラバント(統一前の東ドイツの車。トラビスという愛称で世界じゅうに知られている)のイメージと結びついていることだろう。
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イギリス人をはじめとする外国人がこの小さな厄介者に示す愛着を、ドイツ人はまったく理解できない。ドイツ人はトラバントを買わないし、すでに所有している場合は、できるだけ早く別の車に買い替えようとする。多くのクラシック・カーのコレクターがトラバントを欲しがるが、それは他に類を見ない車だからである。対照的に、ドイツ人にすればトラバントは、「民主共和国」の他の遺物同様、歴史の廃物置き場に捨てられるべき代物である。