じじぃの「科学・芸術_205_食べ物(植物)の歴史」

The History of Food 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JlS7z5HIvZQ
アンデス山脈高地のジャガイモ

新大陸原産の野菜はいったいどれだけ食卓に載っているのか 2011年10月26日 GIGAZINE
コロンブスらによって多くの野菜や穀物がヨーロッパに持ち帰られ、世界に広まりましたが、実際に南北アメリカ大陸を原産とする食物はどれほど存在しているのでしょうか?
トマト、ジャガイモ、唐辛子、トウモロコシなど、いくつかはどこかで聞いたこともあるかもしれません。
http://gigazine.net/news/20111026_vegetables_south_america/
『1000の発明・発見図鑑』 ロジャー・ブリッジマン/著、小口高、諸田昭夫、 鈴木良次/訳 丸善 2003年発行
小麦と大麦
小麦や大麦はもともと草だった。大きい種がたくさんとれるよう長時間かけて品種改良し、現在の小麦や大麦になった。前7500年頃、最初に栽培されたのは中東で、人口が多く大量の食糧が必要だったエリコ周辺ではないかと考えられている。地下に小麦や大麦の種が埋まっている痕跡が残っている。
アルコール飲料
果汁や甘い植物の液を放置すると、酵母が発酵を進めてアルコールができる。中東では前4000年頃にこの自然現象が理解されていたらしく、ワインをつくるブドウの栽培が始まった。前2500年頃、エジプトでは大麦のビールもつくられていた。
オリーブ
前3500年頃、すでに地中海のクレタ島ではオリーブを栽培して油をとり食用にもしていた。5000年以上たった現在でもオリーブはクレタ島の最も重要な産物である。オリーブ栽培は地中海地方全域および、これと同じような気候の地域に広がっている。

前2700年頃、中国の王、神農が椿の木の下で湯をわかしていると1枚の葉が落ち、茶が始まったといい伝えられている。しかしこの新しい飲物、茶の記録は800年頃までなく、ヨーロッパに伝わるにはさらに800年かかった。1657年にロンドンで初めてカップ入りのお茶が売られると非常に流行した。
ジャガイモ
南アメリカのペルーでは、前2500年以上前からアンデス山脈の高地でジャガイモが栽培されていた。
スペインの征服者たちにとっては未知の野菜で、ヨーロッパにもち帰られた。ペルーでは重要な作物ではなくなったが、世界中でつくられる作物となった。18世紀中頃、アイルランドはすっかりジャガイモに依存していたのでジャガイモの凶作が続くと飢饉がおこる程だった。
香辛料
肉桂(シナモン)、丁子(クローブ)、生姜(ショウガ)、胡椒(コショウ)などの香辛料の交易は、前2000年より前から行われていた。香辛料は東洋の原産で、産地を知っている商人は西に運んで莫大な利益を得た。商人たちは香料諸島(現在のインドネシアモルッカ諸島の一部)などの原産地を厳重に秘密にしていた。
植物の雄雌
バビロニア人は農耕や園芸に秀でており、人間と同じように雄と雌がある植物の存在に早くから気づいていた。雄の花粉を受粉すると雌の植物は実を結ぶ。バビロニアの印章のイラストには人工的に受粉を行う様子が描かれている。前1800年頃には、人工授粉用に雄のナツメヤシの花が売買されていた。
植物学
植物が栽培されるようになってから数千年たち、植物がどのように生まれ、どのように機能するかという研究が始まった。植物を科学的に研究する学問を植物学という。
この意味での最初の植物学者はギリシャのテオフラストスで、前320〜280年頃に植物学書を200冊以上著した。そのうち現存するのは植物の起源と成長に関する2冊のみである。現代では彼の著書の学術的価値は低いが、植物学の基礎を築いたことは確かである。
植物の学名
1753年にスウェーデンの植物学者、フォン・リンネ(カルロス・リンネウスとしても知られる)が”Species Plantarum”(植物の種)を出版するまで、植物の名は冗長だった。
リンネは、植物を近いグループである属に分類し、それぞれに属名と種名を並べてつけた。たとえばタンポポはタラクサカム・オフフィキナーレ(Taraxacum officinale)である。この方式は現在でも使われている。
遺伝の法則
茶色の眼をした男女からも4分の1の確率で青い眼の子供が生まれる可能性がある。このような遺伝の基本を発見したのはオーストラリアの修道士メンデルだった。系統の違うエンドウマメをかけ合わせ、生物は数学的法則によって特性を受け継ぐことを発見した。
これを1866年に発表したが、1900年になって初めてオランダの植物学者フーゴー・ド・フリースが現代生物学におけるこの論文の重要性に気づいた。
遺伝子組換え食品
何世紀にも渡って品質改良が行われ、作物の遺伝的性質を変える試みが行われてきた、最近、遺伝子工学を使った遺伝子組換え食品が許可されているが、第1号はトマトだった。
1994年、セイバー(商品名)というトマトは、米国のカルジーン社が開発し、遺伝子の操作によって熟した後も実が崩れず、香りを保つ。熟してから収穫しても輸送中に軟らかくなることがなく、日持ちする。大豆など、いろいろな遺伝子組換え食品が登場している。

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『もののはじまり 雑学大全 どこを読んでも必ず誰かと話したくなる!』 なるほど倶楽部/編 だいわ文庫 2013年発行
なぜミョウガと物忘れが関係あるの?
ミョウガは人気の薬味ですが、「ミョウガを食べると物忘れがひどくなる」というので気にしている人もいるのではないでしょうか。もちろん、これは科学的根拠のない話。にもかかわらず、このようにいわれるようになったのは、お釈迦様の弟子の須梨槃特(しゅりはんどく)という人物のためなのです。
槃特は物忘れがひどく、自分の名前を忘れることさえありました。そこで、自分の名前(茗)を書いた札を首にか(荷)けて歩いていました。このことから、「茗荷を食べると物忘れがひどきなる」といわれるようになったのです。
これが世間に広まったのは、宿の主人が旅人にミョウガを食べさせて財布を置き忘れさせようとする落語が、江戸時代に人気になったためといわれています。
ミカンの缶詰を作ったのはどこの国?
世界ではじめてミカンの缶詰を作った国は、なんと日本です。1880年前後のことで、それから80年近く、ミカン缶詰の製造は日本の土壇場でした。
ところで、缶詰に入っているミカンは、きれいに薄皮が剥けていますが、どうやって薄皮を剥いているのでしょうか。
缶詰工場では外側の皮を剥いたミカンを0.4%前後の塩酸の溶液に20分ほど浸した後、今度は同じく0.4%前後の水酸化ナトリウムの溶液に浸しています。こうすると皮が柔らかくなるので、薬品を除去するために十分に見ずにさらした後、水流で皮を剥くことができるのです。