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Fred Korematsu
先人たちの底力 知恵泉 「日系人 F・コレマツの戦い」 2017年4月25日 NHK Eテレ
【司会】二宮直輝 【出演】池上彰、パトリック・ハーラン、村川庸(敬愛大学教授)
日系人フレッド・コレマツの言葉が、今アメリカで大注目!
彼は、太平洋戦争中の日系人強制収容は人種差別だ、と国を相手に裁判を起こした。
「波風を立てるな」と迷惑がる同胞たち。しかしどれほど孤立しようと、国を愛するがゆえに声を上げるのを止めなかった。自由とは?平等とは?差別とは?現代社会の私たち全員の心に刺さる、生きるための重要なメッセージ。
「If you have the feeling that something is wrong, don’t be afraid to speak up.(何かおかしいと感じたら、声を上げることを恐れてはいけない)」
https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20170425-31-25843
4月25日、NHK Eテレ 先人たちの底力 知恵泉 「日系人 F・コレマツの戦い」 より
戦時中、アメリカの歴史に大きな汚点を残す事件が起きました。
突如、「敵性市民」としてアメリカ社会から排除されてしまった日系人たち。
誰もが理不尽な状況に耐え忍ぶしかありませんでした。
そんな中、声を上げた人がいます。アメリカ生まれの日系2世です。
戦争のさなかフレッドはアメリカが行ったことは人種差別ではないかと裁判を起こします。
しかし、彼を待っていたのは孤独な戦いでした。
強制収容所の日系人たちはフレッドをトラブルメーカーとして拒絶。強大な国家権力を前に裁判も敗北に終わります。
しかし、彼は諦めませんでした。
・
終戦から37年が経ったある日のこと。
60歳を超えたフレッドに人生を大きく変える出来事が起こります。
訪ねてきたのは法学者で弁護士のピーター・アイアンズ。
日系人の強制収容は憲法違反だったのではないかと、調査を行っていました。
アイアンズは政府の内部文書を入手。フレッドに見せます。
日米開戦の直前に行われた日系人に関する調査の報告書です。
そこには裁判では隠蔽されていた驚くべき記述が残されていました。
「西海岸の日本人については、なんの心配もいらない。日本人たちが武装反乱を起こす危険もない」
つまり、アメリカは日系人が危険な存在ではないと知りながら強制収容を行っていたことが明らかになったのです。
フレッドはアメリカを相手に再び裁判を起こすことを決意します。
フレッドの娘、「アメリカを相手に裁判を起こしても、また同じように負ける可能性は十分ありました。でも、父は自分のためだけではなく、日系人社会そのもののために戦おうとしたのです」
1983年、39年ぶりにフレッドの裁判のやり直しが決定。全米がこの行方を注目します。
アイアンズはフレッドのために弁護団を結成。
メンバーに志願したのがフレッドの子供の世代日系3世の弁護士です。
この戦いに無償で参加しました。
弁護団のリーダを任されたデール・ミナミさん。ミナミさんの両親も強制収容所での生活を強いられました。
ミナミ、「日本人の強制収容はアメリカの民主主義そのものに反するものです。正義・尊敬・権利が平等に行使されなかったことに、私は驚きと怒りを覚えました。フレッドの裁判は我々日系人にとって歴史を正すチャンスだったのです」
1983年11月、フレッド64歳。フレッドはサンフランシスコの連邦地方裁判所に向かいます。
そして、再び声を上げます。
連邦地方裁判所はフレッドの有罪判決を取り消します。
アメリカは上訴を行わず、フレッドの勝利が確定。
40年の時を越えて名誉を回復することができたのです。
裁判所には強制収容所に入れられた経験を持つ日系2世たちが駆けつけました。
裁判が終わってから15年。
フレッドはホワイトハウスに招かれます。
クリントン大統領から正義のために戦い続けた人としてアメリカ市民にとって最高の栄誉である勲章を渡されます。
「USA!USA!」。アラブ系の人やイスラム教徒に対する敵意と憎悪がアメリカ中で巻き起こります。
フレッドは再び立ち上がります。
全米各地で自らの体験を語り、全てのアメリカ市民の権利を守る取り組みを続けます。
2017年1月、グーグル検索サイトのトップページに、彼のイラストが大きく掲載されました。