New York City - The City That Never Sleeps 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=waUlliJ3Fws
Best views of Manhattan, New York from above in HD 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AGLNK5g6SXk
new york city (1990)
米国ニューヨーク・世界貿易センター 911テロ事件から10年 ドルジバツアー
アメリカ合衆国の最大の都市、ニューヨーク(New York)市の中心部、マンハッタン(Manhattan)区のマンハッタン島ハドソン川(Hudson River)河口近くは、高層ビルが立ち並び、世界の金融の中心となっている。
そのなかでも、世界貿易センター(ワールド トレード センター/World Trade Center)ビルはマンハッタンの象徴的存在であった。世界貿易センタービルは高さ417m、110階建てのツインタワーで、1973年に竣工した。設計はシアトル出身の日系米国人、ミノル・ヤマサキ(山崎實)氏で、完成時は世界一の高さを誇るビルだった。
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『ニューヨークからアメリカを知るための76章』 越智道雄/著 赤石書店 2012年発行
世界一あだ名が多いメトロポリス (一部抜粋しています)
♪さあ、世間に触れ回れ、今日はおれさまの門出の日だ。
おれはニューヨークの内懐へ入り込みたい。
ああ、ニューヨーク、ニューヨーク。おれの浮浪者の靴は、あの大都会の心臓部をもろに突っ切ってさまよい歩きたがってるんだ、ニューヨーク、ニューヨーク。
どん底の1977年に引用の歌が歌われた矛盾の件だが、衰運の1973年に世界貿易センタービルが開館された点も新たな矛盾だ(コンプレックス全体の完成は77年)。
アルカーイダが、アメリカ資本主義の牙城として倒壊させたあの超高層双子ビルである。つまり、ニューヨーク市はどん底に落ちれば落ちるほど、「社会登攀競争(ソーシャル・クライミング)」への意欲と幻想をかきたてるらしいのだ。それだけよじ登るべき頂点が高くなるからだろうか? むろん、林立する古びた高層ビル、その薄暗い谷間から振り仰ぐ細長く切り取られたスカイライン――このダイナミズムが社会登攀競争の具現なのだ。
ところが、この世界貿易センタービルの建設には、モホーク族の建設工が関わっていた。黒人とともにアメリカ社会の最底辺に置かれたインディアンが、アメリカの頂点を構築したのだ。危険な高所での建設工事は白人には敬遠された。しかも、モホークたちの労賃は白人工員より安かった。とはいえ、部族の若者を教育する文化を持つモホークは、熟練工の場合、白人だけでなく部族の若者の間でも高所の鉄骨を地面並みに歩いてみせる意気地を発揮した。これを彼らは、「鉄骨を歩く」と呼んだ。白人たちは、「やつらには恐怖心がないんだ」と恐れた。西部劇で誇張された彼らの勇気と合わせて二重に恐れたのである。
いや、モホークたちは、「9/11」で倒壊したこのビルの整理にも関与した。彼らもまた、20世紀前半、カナダのモントリオールの居留地からニューヨーク市へ「ブーム・アウト」してきたのである。ブームに乗ってニューヨークへ出てくることを、彼らはこう呼んだ。彼らはブルックリンに住み着いた。エンパイア・ステート・ビルをはじめ、幾多のニューヨークの名物建築を手がけてきた。この誇り高き「イロコイ5美俗」の1つについては、紙数ゆえに他日語りたいと思う。
しかし、何よりも、世界貿易センタービルは、山崎實という日系人が設計した。モホークと太古で祖先を同じくする民族の1人が(インディアンは中国北東部からベーリング海峡を渡って北米に入ったと言われる)。
登攀の成功者は自分の会社や住まいも、超高層ビルに構えたがる。
さて、アルカーイダが世界貿易センタービルを破壊したのは、テロリストまで(ニューヨークがかきたてる強烈な幻想の破壊こそ最高の破壊)だと確信していたからだった。<それだけ逆に、合衆国に深い深いどん底を創り出せる>と、彼らは「幻想」したのだ。
どん底の象徴は、1965年11月9日と、冒頭引用の曲が歌われた77年7月13日に起こった、2度の大停電だった。66年、ジョン・リンジーが市長になった初日、地下鉄ストが起こり、以後幾多のストが相次ぎ、とくに68年のゴミ処理労組のストでニューヨークは全市が「夢の島」と化した。コンテナ輸送が隆盛になると、そのスペースのないニューヨーク港は、隣のニュージャージー州の港湾施設に繁栄を奪われた。69年初夏、警察のいじめに対してグリニッジ・ヴィリッジのゲイたちが最初に起こした抗議活動が「ストーンワル反乱」で、これこそが今日に続く「ゲイ解放運動」の幕開けだった。
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すでにニューヨーク市のニックネームが2度出てきた。ファン・シティ、そして引用の「眠らない都市」だ(歌詞と違って実際には「絶対に眠らない都市」)。他に「世界の首都(カプート・ムンディ)」、エンパイア・シティ、「イカシすぎて2℃名をつけた都市」、「ザ、シティ」等々。あとはおなじみのゴサムとビッグ・アップル。合計8つもある(もっとも、ニューヨーカーたちは、最後の呼称を特に嫌う)。たぶん、あだ名はまだあるのだろう。
ニューヨーク市をゴサム(またはゴタム)と呼ぶのは、イングランド中部のノーザンプトンシアの南部に実在する中世からの歴史を持つ町に由来する(町名の発音はゴータム)。この町は昔、イカレた住民だらけの町だったという有名な伝説がある。19世紀初頭、アメリカ版浦島太郎物語『リップ・ヴァン・ウィンクル』(1819〜20)の作者ワシントン・アーヴィングがマンハッタンにこの名を使ったことから、ニューヨークのあだ名になった。倒産のどん底に落ちてこそ高まるニューヨーへの愛着は、イカレの極地だろう。