じじぃの「科学・芸術_312_エンパイア・ステート・ビル(NY)」

Art Deco Makes New York City Great 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QzmgEgBbEWE
Empire State Building

Top Ten New York Architecture
1   Empire State Building
2   Chrysler Building
3   Rockefeller Center
http://nyc-architecture.com/TEN/TEN-DECO.htm
『ニューヨーク (世界の都市の物語)』 猿谷要/著 文藝春秋 1992年発行
エネルギーの爆発 より
マンハッタンは平坦のように見えて、これでなかなか起伏に富んでいる。たとえば、114丁目から120丁目にかけて広がるコロンビア大学のキャンパスの東の外れに立つと、モーニングサイト公園のかなり急な斜面が南北に長く延びていて、いまこんなに高い所にいるのかと誰もがびっくりするだろう。
そして目の前に、というより目の下に、といった方がいいだろうか、公園の東側に見渡せる世界がハーレムなのである。それにしても、セントラル・パークの北に当るこのハーレムは、一体いつ頃から黒人の街になったのだろうか。
ここに興味深い写真が2枚ある。最初の写真はちょうど1900年頃に撮られたもので、白人の女性が奇妙な車に乗って馬に曳かせている。その頃はまだ白人中産階級の住宅街だったことが分かる。
もともとダウンタウンから遠かったので、初めはこの周りに別荘を作る人が多かったが、交通機関が発展して住宅が南から北へ広がってくると、セントラル・パークの北側は格好の住宅街として発展してきたのだ。
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文学好きの人にとって、ニューヨークはたしかに宝庫といっていいのではないだろうか。創世期のワシントン・アーヴィング、ジュームス・クーパー、アメリカ文学が本格的に創られた頃のエドガー・アラン・ポーハーマン・メルヴィル、それにウォルト・ホィットマンなど、みなニューヨークの空気を吸いながら仕事をした人たちだ。
あちらこちらに、足跡はたっぷりと残っている。ポーなどはマンハッタンのいろいろな場所に住んでいたようだが、今はっきり目で見られるのはブロンクスの家で、グランド・コンコースとキングズ・ブリッジ・ロードが交差する「ポー公園」のなかに建っている。1846年から48年までいたという木造のありふてた家だが、ここで妻ヴァジニアに死なれ、埋葬した近くの教会の墓地のあたりを、ポーは深夜よくさまよい歩いたらしい。そう聞かされるて眺めると、なんの変哲もない室内の暗がりに、なにやら鬼気の漂うのを感じたりする。
ブロンクスには、20世紀に入ってまもなく、マーク・トウェインが住んだ石造りの見事な家があるそうだが、残念ながら私はまだ訪ねてみたことがない。彼の家は、あの茫洋とした大河ミシシッピの流れが見える所がいい。
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1916年には街の美観や暮らしやすさを守るため、建築を規制する法令がニューヨークで成立した。アメリカ最初のゾーニング法令である。この規制と、パリから入ってきた新しい思考が微妙に混合して、後にアール・デコとよばれるようになる美しい直線的な建築用敷くが、この1920年代の後半からみごとに華ひらくことになるのだ。
50階をこえるビルが次つぎに建てられていったが、グランド・セントラル駅周辺にかなり集中している。建築の細かな点までみていくと、27年に完成したパーク・アヴェニュー・ビルとフレッド・フレンチ・ビルの両者は、とくに優雅なアール・デコ様式で、無味乾燥になりがちなビル街に、落ち着いた心のやすらぎを与えてくれるほどみごとである。
そういう点で一頭地を抜いているのは、レキシントン・アヴェニュー42丁目にできたクライスラー・ビルだった。入り口からロビー、各階の廊下、とくに美しいのは幾重にも波型に重なるようなった尖塔である。
このビルの建築には、有名な話が残っている。当時世界最高をめざして建設中に、実はウォール街に建て始められていたマンハッタン銀行が、クライスラーを追い抜こうとして設計変更をしていることがわかり、こちらはそれに負けていられないとばかり、56メートルの尖塔をつけ加えることにしたのだった。
クライスラー・ビルの設計家ヴァン・アレンは、それだけの高さをつけ加えれば、相手の設計変更のさらに上をいくだろうと考えたのだが、こうなるとまさに情報戦争の高さ競争というわけだったのである。
そしてアレンは勝った。1930年に完成した優美なクライスラー・ビルは、たしかに競争に勝って世界一の高さになった。しかしその世界一という記録は、1年たらずしか持ちこたえることができなかった。翌年には、102階のエンパイア・ステート・ビルが完成したからである。
均整がよくとれていて、アール・デコの直線美を十分に生かしたこのビルは、それまで古いウォルドーフ・アストリア・ホテルがあった5番街の34丁目に建てられた。
私はこれだけ高いビルが、これだけ高い完成度をみせて、着工してから1年あまりで竣工したというのは、ほとんど信じられないような思いがする。クライスラーにしろ、エンパイア・ステートにしろ、その実現をめざして働いた人たちの技術と心意気は、ニューヨークがいつまでも語り伝えなければならないものではないだろうか。
あえていえば、それこそ立体的なフロンティア・スピリットであったろう。当時は平面的な西部のフロンティアが消滅してから、もう3、40年たっていた。平面的なフロンティアは、もうどこにも残っていなかった。それならば、今度は上空に向かって、まだ誰も到達していない高さまで、ビルを建ててしまおう。そう考えた人びとにとって、マンハッタンは最高の舞台を提供していたのである。
ただ高さばかりを競いあったら、マンハッタンは無味乾燥で息苦しい世界になってしまっただろう。全体の都市計画、建築規制、それに優美なアール・デコ様式をふんだんに生かす芸術的なセンス――こういうものが一体となって、マンハッタンを単なる超高層ビルの街とせず、人びとを不思議な力で惹きつける摩天楼の街としたのにちがいない。
さまざまな装飾美を求めてマンハッタンの摩天楼を眺め歩くのは、私にとってたまらない楽しみなのである。