じじぃの「科学・芸術_116_シュレーディンガーの猫」

シュレーディンガーの猫 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Q8savTZOzY0
シュレーディンガーの猫



時空を超えて 「時間の正体は何なのか?」 2017年2月3日 NHK Eテレ
【案内人】モーガン・フリーマン
量子物理学によれば、空っぽの空間にもエネルギーのゆらぎが起こります。つまり無から有が生じる可能性があるということです。例えばウランなどの放射性元素を考えて下さい。何も変化しないように見えますが、次の瞬間にも原子核が自ら崩壊し新たに放射線を出すかもしれません。
時空そのものにも同じような性質があるのではないかと考えています。空間に量子ゆらぎが存在することは既に分かっています。
http://www4.nhk.or.jp/P3452/x/2017-02-03/31/5026/1988014/
『フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する』 ミチオ・カク/著、 斉藤隆央/訳 NHK出版 2015年発行
意識の量子論 より
能スキャンやハイテクが驚異的な進歩を遂げていても、一部の人は、意識はわれわれの貧弱な技術では手に負えないものだから、意識の秘密を明らかにすることはできない、と主張している。それどころか、彼らの考えでは、意識は原子や分子、ニューロンよりも基本的なもので、現実そのものの状態を決定する。そうした人にとって、意識とは、物質世界を作り出す基本的な存在なのだ。そして自分たちの主張を証明するために、彼らは、現実の定義そのものに挑みかかる、科学における最大級のパラドックスを引き合いに出すそれがシュレーディンガーの猫」というパラドックスだ。今日でも、この問題にかんして完全な意見の一致は見られず、ノーベル賞受賞者の態度も分かれている。ここで問われているのは、現実と志向の本質にほかならない。
シュレーディンガーの猫」パラドックスは、量子力学のまさに根源に切り込むものだ。量子力学という分野は、レーザー、MRI、ラジオ、テレビ、現代のエレクトロニクス、GPS、遠距離通信を可能にしており、いまや世界経済はこれに頼っている。量子論の予測の多くが、1000億分の1の精度で検証されてきた。
私はこれまですべての研究人生をかけて量子論に取り込んできた。だが、量子論に隠された弱みがあることには気づいている。自分のライフワークの土台をなす理論のまさかに根幹がパラドックスにもとずいていることを知っているというのは、気分が落ち着かないものだ。
この議論の火つけ役となったのが、量子論創始者のひとりであるオーストラリアの物理学者、エルヴィン・シュレーディンガーだ。彼は、電子の奇妙な振る舞いを説明しようとしていた。電子は、波と粒子の方向を示すように見えたのだ。1個の点状粒子である電子が、どうしてふたつの異なる振る舞いをするのか? あるときは、電子は粒子のように振る舞い、霧箱のなかに明確な飛跡を描く。ところがまたあるときには、波のように振る舞い、小さな穴を抜けたあとに、池の水面にできる波のような干渉縞を作り出す。
1925年、シュレーディンガーは有名な波動方程式を提唱した。いまや彼の名が冠され、これまでに見つかったなかでも最高に重要な方程式のひとつとなっているものだ。たちまちセンセーションが巻き起こり、彼は1933年にノーベル賞を受賞した。シュレーディンガー方程式は、電子が持つ波のような振る舞いを正確に記述するだけでなく、水素原子に当てはめると、この原子の奇妙な特性を説明することもできた。うまいことに、この式はどの原子にも当てはまり、元素周期表の大半の特徴を説明できた。まるで、すべての科学的現象が(それゆえ、すべての生物学的現象も)この波動方程式の解にすぎないかのように思われ、物理学者のなかには、あらゆる恒星や惑星に加え、われわれまで含めた全宇宙が、この方程式の解にすぎないと主張する人さえいた。
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1939年、シュレーディンガーは量子物理学を一挙に粉砕すべく、かの有名な猫の問題を提起した。密閉された箱のなかに、1匹の猫と、毒ガスの入った容器を収める。箱にはウランのかけらも入っている。不安定なウラン原子が放射性崩壊を起こして量子を放出すると、これをガイガーカウンターが検出する。そして検出によってハンマーが作動して売り落とされ、ガラスを割ると、なかのガスが出て猫は死ぬ。
この猫はどのように表せるか? 量子物理学者ならこう言うだろう。ウラン原子は波を使って表せるが、原子は崩壊している場合と、崩壊していない場合がある。だから、そのふたつの場合の波を重ね合わせなければならない。ウランが粒子を放出すれば猫は死ぬので、これもひとつの波で表すことができる。したがって、猫を表すためには、死んでいる猫の波に生きている猫の波を重ね合わせる必要があるのだ。
すると、猫は死んでも生きてもいないことになる! 猫は、生と死のはざまの世界において、死んでいる猫の波と生きている猫の波の和で表されるのである。
これこそ、物理学の伝統にほぼ1世紀も響き渡っている問題の核心だ。では、このパラドックスをどう解決するか? 少なくとも3つの手だてがある(そしてこの3つに数百のバリエーションがある)。
第1の手だては、ボーアとハイゼンベルグによって提唱されたコペンハーゲン解釈であり、これは世界じゅうの教科書にのっている(私の量子仏学の講義でも。最初にこれを教える)。この解釈によると、猫の状態を決定するためには、箱を開けて観測しなければならない。観測すると、猫の波(死んでいる猫と生きている猫の重ね合わせ)がひとつの波に「収縮」するので、猫が生きている(または死んでいる)ことがわかる。このように、観測が猫の存在と状態を決定する。観測行為によって、ふたつの波が魔法のように溶けてひとつの波になるのである。
アインシュタインはこの解釈を嫌った。数世紀にわたり、科学者は「独我論」または「主観的観念論」と呼ばれるものと戦ってきた。これは、だれかがそこにいて観測しなければ事物は存在しえない、とする考え方だ。実在するのは心だけであり、物質世界は心のなかの観念としてのみ存在する。したがって、独我論者(ジョージ・バークリー主教など)によれば、森のなかで木が倒れても、そこで見ている人がいなければ、その木は倒れていないのかもしれないのである。アインシュタインは、これをまったくのナンセンスと考え、これに対抗する「客観的実在」の理論を推進した。この理論では単に、宇宙はいかなる人間の観測と無関係に、ただひとつの明確な状態で存在するとされる。これはほとんどの人が持つ常識的な見方だ。