Fantasy Time
宇宙卵 (川村易 絵)
哲学には創始者は存在するのでしょうか。 2012/2/6 Yahoo!知恵袋
回答
広い意味での「哲学」はともかくとして、西洋の伝統的学問としての「哲学philosophia」の創始者はタレス(前624頃-前546頃)と言われています。
タレスは、あの知恵の愛求〔哲学〕の始祖であるが、「水」がそれであると言っている。」(アリストテレス『形而上学』第一巻第三章:出隆訳32-33頁)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1080901495
あなたはあと1年しか生きることが出来ないとしたらどう生きますか? 2013.08.31 MR-NET
回答
好きな人(家族)と親密な時間を共にする。
自分の生きてきた意味の確認。
http://mr-net.org/blog/?p=219
『自分と世界をつなぐ 哲学の練習問題』 西研/著、川村易/絵 NHK出版 1998年発行
あらためて、「哲学とは何か」 (一部抜粋しています)
「<私とは何か> <私は(世界は)なぜ存在しているのか>というような問いには、おそらく答えは出ない。しかしこの永遠の問いを問いつづけるのが哲学なのだ」という見方がある。これは、「哲学は純粋に真理を求めるものであって実生活の役には立たない」という見方とも結びつきやすい。しかしビッグな哲学者たちは答えの出ない問いを延々と問いつづけたりはしない。そうではなく、「それらの問いの根本にあるのは何か」、さらに「どこから考えれば根本的に考えたことになるのか」と問うのである。
そもそも「私とは何か」というような問いを、なぜ私は問うのか。それはおそらく、私と世界の関係が混乱しているからだ。「私を支える何か確実なものが欲しい」という思いがこの問いを問わせる。――このように、「本当に問題となっているのは何か」と問いつめていくのが哲学のやり方だ。
しかしもう一つ、別の方向がある。「人間はなぜ、私の存在について考えたりするのか」と問うてみるのである。動物とちがって、人間は自分の存在の意味を問い、死について考えるが、それは人間の精神の特質に起因しているはずだ。つまり、「人間の精神はどのような本性を持つのか」と問うならば、その問いこそより根本的なものであり、それを考えることによってさまざまな具体的な問いに答えていけるはずだ。
なるべく根本的に考えるやり方を探そうとすること、そして、根本的であるからこそ自分も他の人々も納得するような、普遍的な考え方をつくろうとすること、これが哲学の心である。しかしそれは、特別な人のやる特別なことではない。私たちが日常の悩みについて話しあっているときでも、何がいちばん根本の問題であり、どうすることが根本的な解決になるのか、と考えようとする人がいる。さまざまな社会問題についても同じであって、そういう態度こそ「哲学的」なのだ。
「ただ嘆いたり場当たり的な解決を探したりしても無駄だ、本当に希望を創り出すためには根本から考えるしかない」。哲学はそういう思いから生まれてくるものだ。とぼくはつねづね思っている。