じじぃの「科学・芸術_85_目をみはる農業技術・日本1852」


『日本1852 ペリー遠征計画の基礎資料』 チャールズ・マックファーレン/著、渡辺惣樹/訳 (草思社文庫 2016年発行
植物 (一部抜粋しています)
日本は山と岩の多い国という言い方もできるが、むしろ森とそれが作り出す木陰に満ちた国といったほうが相応しいかもしれない。モミ(Fir)とヒノキ(Cypress)が広く分布している。どちらにもいくつかの種類がある。支那と同様に平野部の木はすべて利用し尽くされているが、代わりに荒地や砂地に植林が進んでいる。植林の他には使えない土地を利用している。さらに、美観と木陰をつくるという観点から、街道筋にそってあるいは小高い丘に木々が植えられていて、それがこの国の美しい景観づくりに役立っている。旅人を強い陽射しから守り、旅を快適にしてくれる。
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この国を訪れる誰もが農業や園芸のレベルの高さを賞賛している。もちろんこの国に質のいい農業従事者が多いことがその理由だろう。しかし理由はそれだけではないだろう。多くの人口を抱えていて、外国との交易や交流ができない中で、国内の産業と資源だけでなんいとかしてきた賜物なのかもしれない。耕作地もこの国が知る限りの知識を動員して開墾されている。ここでは平地が牧草地として放っておかれることはまずない。丘やちょっとした山間でも開墾され、トーモロコシ、米、エンドウ、多種の豆類などが生産されている。使える土地の全てを利用していると言える。
このことは江戸幕府に街道を行き来したケンペルやその旅仲間を大いに驚かせている。牛も登れないような山の頂上までもが開墾されていたと伝えている。こうした棚田や畑は牛などを使わず人力で作り上げられたものだ。このやり方は支那ではよく見ることができるし、一部ヨーロッパでも見かける。
日本人は施肥の方法にも優れた才能を発揮し、多種多様の肥料を利用している。日本では米が主食で、平野部で広く栽培されている。アジアでは最高の品質である。それは白く栄養豊富であるが、それに馴染んでいない異国人はいっぺんにたくさん食べることはできない。水田は灌漑用水を使って丁寧に耕作されている。潅漑の難しいところでは陸稲も作られているが品質は劣っている。米からは濃くて強い、ビールとでも言えそうな酒(sackee)が醸造されている。農業に関わる法律はいくつもある。耕作地を1年でも放置すると所有権を失う、というのもそういった法令の1つだ。全ての農地に役人が毎年調査に入る。こうした役人は検見(Kemme)と呼ばれる。
インディアンコーンと呼ばれるトーモロコシ(maize)や粟などの穀類は、この国の全土で栽培されている。カブもどこでも見ることができ、中には途方もなく大きなものがある。豆類、ワサビ、ニンジン、ウイキョウ(fennel)、レタス、キュウリ、苦瓜、メロン類なども普通に見られる。こうした作物の他に、野草やその根、木の葉、花や実などから滋養のある食料を得ている。日本人はこうした野草から毒になる成分を取り除き、食用に変える術を知っているらしい。きのこ類は種類が豊富でどこでも見ることができる。麻、亜麻も栽培され有効に使われている。日本人は煙草好きでタバコの葉は大量に生産されている。実際この国では肥沃な土地を優れた技術と丹精込めた手入れで、完璧なまでの生産性を実現している。
もし農業を文明の尺度とすれば、日本は少なくとも東洋ではナンバーワンだろう。メイラン氏もそう見ている。最近この国を訪れたオランダ人も日本の耕作のやり方を賞賛している。もちろんその方法は、ほとんどのヨーロッパの国では応用できないものである。