じじぃの「科学・芸術_79_エレファント・マンと呼ばれた男」

Elephant Man Trailer 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=q2KEN8XBL00

エレファント・マン [DVD] 映画 ジョン・ハート(出演) amazon
19世紀末のロンドンの実話をもとにした作品。
主人公のエレファント・マンは、世界一醜悪な男。その姿ゆえに見世物にされ続けてきたエレファント・マンは、外科医トリーブスに出会い、徐々に人間としてのアイデンティティーを確立していくが…。
異質なものを受け入れることができず、私利私欲に走る人々の無残な姿が、純真無垢なエレファント・マンと対照的に映り、その悲しみを増幅させる。「僕は、人間だ!」と叫び続ける彼の姿は、私たち見る者の心をつかんで放さない。監督デヴィッド・リンチと撮影F・フランシスのコンビによるカルト色の強い作風は、世界的な大ヒットを記録し、注目を集めることになった。アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭グランプリ。

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ジョゼフ・メリック ウィキペディアWikipedia)より
ジョゼフ・ケアリー・メリック(Joseph Carey Merrick 1862 - 1890)は、ヴィクトリア朝時代のイギリスで、今日では主にプロテウス症候群が原因と推測されている身体の極度な変形、膨張から「エレファント・マン」(The Elephant Man)として知られた人物。
【医学的な所見】
上唇から突出した象の鼻状の皮膚組織が一時は20センチ近くに達し、このため会話や食事は終生不自由で、救貧院時代にいったん切除している。会話は困難で発音が聞き取りにくかったとされているが知能は正常で、12歳までは学校にも通っていて読み書きは堪能だった。また少年時代にひどく転んで腰を痛め、脊柱も湾曲しており、歩くときは杖が必要だった。
原因については当時から、レックリングハウゼン病などとして知られる神経線維腫症1型、また俗には象皮病と結びつけて考えられてきたが、近年では特定の遺伝的疾患群をさすプロテウス症候群とする見方が有力である。

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『映画になった戦慄の実話―真相はそうだったのか!』 鉄人ノンフィクション編集部/編 鉄人社 2011年発行
平凡な暮らしだけを願い続けた、ある奇形病患者の悲劇の人生 「エレファント・マン」と呼ばれた男 (一部抜粋しています)
1980年に公開の映画「エレファント・マン」は、19世紀に実在した奇形病患者の障害を感動的に描き、日本でもその年の興収ナンバー1に輝いた大ヒット作だ。
醜い外見ゆえに人間として扱われず、「象」と呼ばれた男の人生はいかなるものだったのか?
のちのエレファント・マンことジョセフ・メリックは、1862年にイギリスのレイセスターで生まれた。映画では描かれていないが、誕生時のメリックはごく普通の健康的な赤ん坊だった。
異常が起き始めたのは5才のころで、腕と足の皮膚が少しずつ硬くなり、同時に唇が巨大化、次に頭と腹がボコボコとふくれ始め、やがて全身が古い樹木のように節くれだった。当時の医学では説明がつかない病気だったため、「かつて母親が動物園で象に脅かされたのが原因だ」という父の言葉を、メリックは死ぬまで信じ続けたという。
11才で優しかった母が死ぬと、人生はさらに過酷さを増す。父の再婚相手がメリックを嫌がり、彼をさんざんイジメ抜いたあげくに家から追い出したのだ。
行く当てのないメリックは救護院でクツ磨きの仕事を始めるが、行く先々で群衆から石やレンガを投げつけられ、食費すら稼ぐことができない。食うや食わずの生活は、その後7年にわたって続いた。
もはや人並みの暮らしなど望むべくもないそう悟ったメリックは、22才で救護院を飛び出し、地元の興行師に手紙を書く。自らを「見せ物」として雇うように願い出るためだ。
メリックの外見に衝撃を受けた興行師は、彼に「エレファント・マン」の名をつけ「象と人の間に生まれた男」なる触れ込みで各地を回った。その反響は凄まじく、巡業用の小屋にはイギリス全土から客が殺到。メリックは一躍時の人となる。
映画「エレファント・マン」では、この後、興行師にムチで打たれながら家畜のように暮らすメリックを、医師のトレヴェスが金と引き換えに救出。ロンドンの病院で治療を続けるうち、2人の間に友情が芽生え始める。
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しかし、病院を飛び出た彼に、戻れる場所はすでになかった。19世紀のイギリスは人権意識が高まりつつあった時代で、多くの見せ物小屋が廃業に追い込まれていた。
食いぶちを稼ぐには、まだ人権意識がゆるい国へ行くしかない。考えた末、メリックはベルギーへ渡り現地の興行師と契約するが、その途中で不運にも強盗に遭遇し、無一文で路上に置き去りにされてしまう。
ベルギー警察は、事件の発生から2週間後に、ようやく街をふらつくメリックを保護、衣服からトレヴェス医師の名刺を見つけ、強制的にロンドンへ送り返した。
ここからの展開は映画と同じだ。治療を始めたトレヴェスは、やがてメリックが常人と変わらぬ知性の持ち主だと気づき、特別室への入院を許可。彼が快適に暮らせるように、最大限の配慮を行った。
そして、1890年4月13日の朝。メリックは、ベッドの上で遺体となって発見される。
検死を担当した医師によれば、普段のメリックは、肥大した頭の重みで呼吸が止まらないように、背中に大量のクッションを当てていた。しかし、その夜に限っては、なぜか普通にベッドに横たわって寝ようとしたらしい。享年、27才だった。
後年、トレヴェスは自伝で次のように語っている。
「メリックは、よく『普通の人間と同じように寝てみたい』と漏らしていました。その希望を自分でかなえようとしたんでしょう」