じじぃの「ある医師の胃がん闘病記・ある日突然に!いのちに限りが見えたとき」


知ると変わる胃がん生存率 2016年11月28日 findMed
胃がんの5年生存率、がん診断時から5年後の時点で生存している割合は、「71.2%」である。
非常に5年生存率が高いがん種であるが、転移が認められて場合では、一気に状況が一変してしまうがん種でもある。
http://www.findmed.jp/topics/stomach/1520?gclid=Cj0KEQiAperBBRDfuMf72sr56fIBEiQAPFXszckC9Kvsv99KXzJ7UdtesVnhPNt29sKvBkOPrWZ85ccaAvUo8P8HAQ
『いのちに限りが見えたとき―夫と「癌」を生きて』 星野周子 1996年 amazon
胃癌から全身癌に侵されて逝った脳腫瘍の世界的権威である夫の6年間におよぶ闘病生活を描く。アメリカで癌の告知を受けてから、日本への帰国、充実した人生を求め続け、死に向かいあえるようになるまでを、哀惜をこめて綴る。

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『いのちに限りが見えたとき―夫と「癌」を生きて』 星野周子/著 サイマル出版会 1996年発行
告知――ある日突然に (一部抜粋しています)
新年になってもまだ慌ただしさが残っていた。研究休暇も折り返し地点をすぎ、帰米の予定が近づくにつれ、夫はここのがんセンターでの仕事のけりをつけるべく忙しそうだったし、2月には、いったんアメリカに戻ってあちらに山積していた仕事を片づける必要があって、その月の終わりになってやっと検査の約束をとっていた。自覚症状があってから3ヵ月が経っていた。
少し遅れたけれど、かなり頻繁に意を診てもらっていたことだし、まさか癌になってしまっているとは思いも及ばぬことであった。呆然としてソファにうずくまる私の脳裏に、取りとめもなく、様々なことが浮かんでくる。それらを手繰りよせているうちに、
「あっ」
私は声にならぬ悲鳴をあげた。体の中を電気が走ったようだった。
越路吹雪……」
そうだ、彼女は毎年必ず胃の検査をしていたのに、1年だけとばしてしまった。その1年が彼女の命取りになったと聞いたことがある。運の悪い人だった……。
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翌日、帰宅した夫は用意された夕食を前にして、ちょっと飲もうよ、と私にブランデーとグラスを用意させた。勧められるままに杯を重ね、空腹も手伝って酔いのまわったころ、彼はさりげなく切り出した。
「検査でね、胃癌だったんだよ。悪くすると半年で再発するかもしれない。そうしたら1年の命だ。あなたにはほんとうに申し訳ないことになった」
「1年しか生きられないかもしれないなんて、いったい、どういうことよ」
この2日間で私なりに、それなりの心の準備をしていたつもりなのに、まさかまさかそんなに深刻な状態だとは、思っていなかった。取り乱した私の剣幕にたじたじとなった夫は、まあまあ、というように手で制した。
「半年もあれば癌はできてしまうんだよ、ある種のたちの悪いヤツだと、胃壁にかなり浸潤してしまっている可能性もある。そうなるとすでに周りのリンパ節転移や血行性転移があると考えなければならない。そんな場合は6ヵ月で、肝臓あたりに転移することが多いんだ。こうして再発や転移した癌は、普通、手術しない。そこだけとっても、もうとっくに体中に癌細胞がばらまかれていると考えられるからね。手術をする意味がないんだな。そうなったら、あとは化学療法に頼るわけだけど、姑息的なんだ。現在の段階では、再発したらせいぜ半年か1年だなあ。ある癌には化学療法が効果的なんだけど、胃癌は……」
夫は口をつぐんだ。私は黙って聞いている。
「だから早いうちに外科的に取り除くことしか、癌を完全に治す方法がないんだよ。特に胃の場合はね」
夫の話は続く。
胃カメラを飲んだとき、『先生、潰瘍がありますねえ、切ったほうがいいですね』なんて言うから、すぐにピンと来ちゃったよ。どうも深いらしいんだ。もしも胃の壁を破っていたら半年だよ」
夫は自分の予後に悲観的だった。無理もない。彼は外科医だしおまけに腫瘍の専門家なのだから。しかも化学療法の……。癌のこわさ、しつこさは百も承知なのだ。
「困ったことになったわねえ」
私は溜息をついた。夫にくっついてあちこちの癌関係の学会に出かける機会に恵まれていた私には、世界中の研究者たちが、あらゆる角度から癌を征服しようと日夜どんなに努力しているか、私なりに分かっているつもりだった。そして彼らの必死の追及にもかかわらず、いったん進行してしまった癌に対しては治療に限界があるということも。
ブランデーは私の衝撃を少しでも和らげようという彼の配慮だった。ショックだった。涙が止まらない。夫も泣いていた。

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どうでもいい、じじぃの日記。
暇なもので、病気に関する本をよく見ている。
図書館の中で医療関係の本を覗いてみたら、『いのちに限りが見えたとき―夫と「癌」を生きて』という本があった。
1987年3月、国立がんセンターでボールマン2型の胃がんと診断され手術を受ける。胃の3分の2を切除。がんはリンパ節に転移していた。
1988年11月、2度目の手術。腎静脈に張り付いていたリンパ節を切り取る。
1991年7月、3度目の手術。腎静脈の後ろ、腎臓のつけ根を切り取る。放射線をかける。その後、10月、首のまわりのリンパ節の廓清(かくせい)手術。化学療法(抗がん剤治療)を始める。
1993年12月、55歳で亡くなる。
 「越路吹雪……」
 そうだ、彼女は毎年必ず胃の検査をしていたのに、1年だけとばしてしまった。その1年が彼女の命取りになったと聞いたことがある。運の悪い人だった……。
最初にがん手術してから亡くなるまで、6年の闘病生活だった。
胃がんや大腸がんの場合、早期発見の5年生存率は70%以上といわれている。