100分de名著 「漫画家 手塚治虫」 (11/12) 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=2m10SkaAe8k
火の鳥 鳳凰編 4/6 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=8YHFA8s3ovk
手塚治虫 「火の鳥」
100分de名著スペシャル 「100分de手塚治虫」 2016年11月12日 MHK Eテレ
【司会】伊集院光、礒野佑子アナウンサー 【ゲスト】ブルボンヌ(女装パフォーマー)、園子温(映画監督)、斎藤環(精神科医)、釈徹宗(宗教学者)
生涯で15万枚もの原稿を描き上げ「漫画の神様」と呼ばれた巨匠、手筭治虫。
「鉄腕アトム」「リボンの騎士」「火の鳥」「奇子」等、今もその作品は多くの人々に愛され、幅広いクリエイターたちに影響を与え続けている。その手塚作品が誕生して2016年で70年。そこで、手塚治虫をこよなく愛する論客たちが一堂に会し、手塚作品を徹底的に読み解き討論する。
女装パフォーマーとして活躍するブルボンヌさんは、セクシャルマイノリティ当事者の立場から、「リボンの騎士」を「LGBT問題」や「性の本質」にいち早く迫った作品として読み解く。
「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」等の映画で若者から熱狂的支持を受ける映画監督、園子温さんは、表現者の立場から、誰にもまねのできない「鉄腕アトム」の描線の魅力に肉薄していく。
精神科医の斎藤環さんは、「奇子(あやこ)」「きりひと讃歌」といった大人向けの手塚作品を通して、誰もが魅了される圧倒的なストーリーテリングがなぜ生まれたのかを心理的に分析する。
宗教学者の釈徹宗さんは、手塚の一大巨編「火の鳥」を人間の宗教性の根源を描いた作品として、宗教学の立場から徹底解剖する。
●火の鳥・鳳凰編
登場人物が次々と理不尽で過酷な運命にさらされる「火の鳥 鳳凰編」。
しかし、それでもこの物語には読む者に「救い」を感じさせる要素があるといいます。
それは我王と茜丸が、無心に観音像を彫る姿。
我王はあふれる思いを形にすることに自分の生きる意味を見出します。「表現」するという行為の深い意味。
手塚自身の姿にも大きく重なります。
釈徹宗さん、「この救いのない話に救いがあるとしたら、表現するということです。なぜ、この世に生まれてきたのか。生命の営みとは何なのか、というところを表現するという一点で扉が開くということです」
ブルボンヌさん、「私自身がこの格好で表現しているかは別にして、表現したことで人にこの気持ちを伝えることもできるし、それを受け取った人から何らかの反応があることで繋がるということに気付いた」
斎藤環さん、「表現するというだけでモヤモヤが晴れる。表現は自分の価値を創造することだと思う。もうひとつはどんな表現もコミュニケーションだと思う。モヤモヤしたものを表現すると誰かと繋がるきっかけになる」
伊集院光さん、「手筭治虫の表現というのは、表現の輪廻というか、人との繋がりだと思う」
鳳凰編のエピローグ
「我王が語る言葉には、手筭治虫の思いが重なる」
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=08035
『人はなぜ傷つくのか 異形の自己と黒い聖痕』 秋田巌/著 講談社選書メチエ 2013年発行
異形の自己 より
手塚についてもう少しみておこう。手塚は自ら創り出した主人公をよくバラバラにする。出世作『鉄腕アトム』でもアトムは何度もバラバラに壊されてしまう。『どろろ』の主人公の一人、百鬼丸は父・醍醐景光の天下取りの欲望のため、48の魔物にそれぞれ体の1ヵ所ずつを奪われる。それも生まれながらにして。どうしてこんな目に遭わなければならないのか。まず考えられるのは手塚自身が「バラバラ」になるほどの心的外傷を負っている可能性である。
生活史を繙(ひもと)いてみると、まず小・中学校時代、いじめにあっている。
ぼくは子供時代、やせていて虫のような顔をしていました。ひじょうに小さく、体も弱かったのです。小学校は師範学校付属小学校と呼ばれるところで、つまり教師の研修のためのモデル校だったのですが、そこではクラスメイトからばかにされて、いわゆる「いじめられっ子」でした。その思い出が根強く残っています。ぼくは目が悪くて、小さい時から眼鏡をかけていたので、これもからかわれる材料になりました。(中略)中学になると、もっと暴力的になりました。まず「解剖ごっこ」というのがありました。これは身ぐるみはがされてしまうのです。10人くらいに寄ってたかられて服を、シャツからパンツまで全部脱がされてしまい、廊下へ追い出されるです。
このような経験が傷にならない筈がない。
次に戦争体験がある。
その日は「ああ、B29が来たな」と思ったとたんに、「キューン」という音がしました。ぼくは、「おれはもうおしまいだ!」と思って、監視哨の上で頭をかかえてうずくまりました。すると、ぼくのすぐ横を焼夷弾が落ちていき、ぼくがうずくまっている横の屋根に大穴が開いて、焼夷弾が突き抜けていったのです。下はたちまち火の海です。(中略)ぼくが堤防に駆けあがると、死体の山です。(中略)現実の世界ではないのではないか、もしかしたら夢を見ているのではないか、あるいはぼくはもう死んでしまって、地獄なのではないかという気が一瞬したのです。そのくらい恐ろしい光景でした。
これが16歳のときの体験である。
それともう1つには彼の父親イメージがある。これがすこぶる悪い。手塚は父のことを終生嫌っていたようだ。
ぼくがおさな心に焼きついているのは、父のわがままや、無理な要求にも文句1ついわず従っているどれい的な母の姿だった。極端な父権家庭で、ぼくたちはびくびくといじけ、外へほうり出されたりすると、母は菓子などを持ってそっとなぐさめに出て来てくれるのだった。
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いじめ、戦争体験、極端な父権家庭、そのどれをとっても「バラバラ」になるのに十分な要素である。手塚は一度バラバラになってしまった自分を回復していく過程として、あるいは新たな自分を創造していくために、「バラバラになり、しかしそこから立ち上がっていく」ストーリーを繰り返し描くことが必要だったのではないか。
「死と再生」は個性化において不可欠のテーマであるが、這い上がってこられる可能性のある限り、バラバラであればあるほど新たに再生される自分はより個性的(インディヴィジュアル)である。