じじぃの「もう一人の手塚治虫・ブラック・ジャックの謎!異形の自己」

Tetsuwan Atom 003 (jap) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=83kiyJ8TE7s
Black Jack episode 01 02 03 04 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-z7-EB7liTQ
ブラック・ジャック

2月9日は、手塚治虫の命日です 2016年2月9日 なるほど!ミュージアム
言わずと知れた漫画の神様です。1989年に亡くなったので、没後27年。そろそろ没後30年の企画も進んでいるでしょうか。手塚治虫の命日にちなみ、今日は漫画の日でもあります。
http://www.museum.or.jp/modules/naruhodo/index.php?page=article&storyid=988
『人はなぜ傷つくのか 異形の自己と黒い聖痕』 秋田巌/著 講談社選書メチエ 2013年発行
異形の自己 (一部抜粋しています)
手塚についてもう少しみておこう。手塚は自ら創り出した主人公をよくバラバラにする。出世作鉄腕アトム』でもアトムは何度もバラバラに壊されてしまう。『どろろ』の主人公の一人、百鬼丸は父・醍醐景光の天下取りの欲望のため、48の魔物にそれぞれ体の1ヵ所ずつを奪われる。それも生まれながらにして。どうしてこんな目に遭わなければならないのか。まず考えられるのは手塚自身が「バラバラ」になるほどの心的外傷を負っている可能性である。
生活史を繙(ひもと)いてみると、まず小・中学校時代、いじめにあっている。
  ぼくは子供時代、やせていて虫のような顔をしていました。ひじょうに小さく、体も弱かったのです。小学校は師範学校付属小学校と呼ばれるところで、つまり教師の研修のためのモデル校だったのですが、そこではクラスメイトからばかにされて、いわゆる「いじめられっ子」でした。その思い出が根強く残っています。ぼくは目が悪くて、小さい時から眼鏡をかけていたので、これもからかわれる材料になりました。(中略)中学になると、もっと暴力的になりました。まず「解剖ごっこ」というのがありました。これは身ぐるみはがされてしまうのです。10人くらいに寄ってたかられて服を、シャツからパンツまで全部脱がされてしまい、廊下へ追い出されるです。
このような経験が傷にならない筈がない。
次に戦争体験がある。
  その日は「ああ、B29が来たな」と思ったとたんに、「キューン」という音がしました。ぼくは、「おれはもうおしまいだ!」と思って、監視哨の上で頭をかかえてうずくまりました。すると、ぼくのすぐ横を焼夷弾が落ちていき、ぼくがうずくまっている横の屋根に大穴が開いて、焼夷弾が突き抜けていったのです。下はたちまち火の海です。(中略)ぼくが堤防に駆けあがると、死体の山です。(中略)現実の世界ではないのではないか、もしかしたら夢を見ているのではないか、あるいはぼくはもう死んでしまって、地獄なのではないかという気が一瞬したのです。そのくらい恐ろしい光景でした。
これが16歳のときの体験である。
それともう1つには彼の父親イメージがある。これがすこぶる悪い。手塚は父のことを終生嫌っていたようだ。
  ぼくがおさな心に焼きついているのは、父のわがままや、無理な要求にも文句1ついわず従っているどれい的な母の姿だった。極端な父権家庭で、ぼくたちはびくびくといじけ、外へほうり出されたりすると、母は菓子などを持ってそっとなぐさめに出て来てくれるのだった。
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いじめ、戦争体験、極端な父権家庭、そのどれをとっても「バラバラ」になるのに十分な要素である。手塚は一度バラバラになってしまった自分を回復していく過程として、あるいは新たな自分を創造していくために、「バラバラになり、しかしそこから立ち上がっていく」ストーリーを繰り返し描くことが必要だったのではないか。
「死と再生」は個性化において不可欠のテーマであるが、這い上がってこられる可能性のある限り、バラバラであればあるほど新たに再生される自分はより個性的(インディヴィジュアル)である。
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黒男は死ぬ思いで頑張り抜き、ブラック・ジャックへと成長していく。天才外科医へと脱皮していくのであるが、行くつく先に待っているのは孤独。この、とびぬけた天才ゆえの孤独は手塚にも共通するところであろう。「バラバラ」になる痛み。そこから立ち上がっていく過程の苦悩。行きつく先に待っている孤独。これらは継時的には別物だが共時的には重なり合う。孤独の課題をできるだけ深く生き抜こうとするとき、それは素晴らしい個性化の過程であるが、同時に「孤」「独」の過程でもある。

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どうでもいい、じじぃの日記。
秋田巌著 『人はなぜ傷つくのか 異形の自己と黒い聖痕』という本を読んでいたら、手塚治虫のことが書かれていた。
漫画界の巨匠 手塚治虫が亡くなってから、もう27年になる。
手塚治虫が小さい頃、いじめにあっていたとは知らなかったが、あのレオナルド・ダ・ヴィンチも何らかの障害をもっていたらしい。
手塚治虫は多くの作品を描いているので、「ブラック・ジャック」だけで判断するのは間違いだが、ブラック・ジャック前と後の作品は異なるような気がする。
ブラック・ジャック前では見る対象者を楽しませるというイメージだが、ブラック・ジャック以降は自分をも見る対象者に加えたのではないだろうか。
深く考えたことはないが、ブラック・ジャックには手塚治虫自身の苦悩が隠されているのかもしれない。