じじぃの「人の死にざま_1726_ホセ・オルテガ・イ・ガセット(スペインの哲学者)」

filosofia Ortega y Gasset Parte 1/3 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5Jd37ztTRgc
ホセ・オルテガ・イ・ガセット ウィキペディアWikipedia) より
ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883年5月9日 - 1955年10月18日)は、スペインの哲学者。
主著に『ドン・キホーテをめぐる思索 (Meditaciones del Quijote)』(1914年)、『大衆の反逆』 (La rebelion de las masas)(1929年)などがある。
【思想】
オルテガの思想は、「生の理性 (razon vital)」をめぐって形成されている。「生の理性」とは、個々人の限られた「生」を媒介し統合して、より普遍的なものへと高めていくような理性のことである。
オルテガは、みずからの思想を体系的に構築しようとはせず、「明示的論証なき学問」と呼んだエッセイや、ジャーナリズムに発表した啓蒙的な論説や、一般市民を対象とした公開講義などによって、自己の思想を表現した。
オルテガの関心は、形而上学にとどまらず、文明論や国家論、文学や美術など多岐にわたり、著述をおこなった。
彼の定義によれば、大衆とは、「ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない」、つまり、「みずからに義務を課す高貴さを欠いた人間である」という。
また、近代化に伴い新たにエリート層として台頭し始めた専門家層、とくに「科学者」に対し、「近代の原始人、近代の野蛮人」と激しい批判を加えている。
20世紀に台頭したボリシェヴィズム(マルクス・レーニン主義)とファシズムを「野蛮状態への後退」、「原始主義」として批判した。特にボリシェヴィズム、ロシア革命に対しては、「人間的な生のはじまりとは逆なのである」と述べている。
自由主義を理論的・科学的真理ではなく、「運命の真理」であるとして擁護している。
保守主義者と評されることもある。日本では西部邁が影響を受け、しばしばオルテガの発言を引用している。

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『大衆の反逆』 オルテガ/著、神吉敬三/訳 角川文庫 1967年発行
大衆の反逆 より
つまり、われわれはここで、愚者と賢著の間に永遠に存在している相違そのものにつきあたるのである。賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを胆に銘じている。だからこそ、すぐそこまでやって来ている愚劣さから逃れようと努力を統けるのであり、そしてその努力にこそ英知があるのである。
これに反して愚者は、自分を疑うということをしない。つまり自分はきわめて分別に富んだ人間だと考えているわけで、そこに、愚者が自らの愚かさの中に腰をすえ安住してしまい、うらやましいほど安閑としていられる理由がある。
ちょうど、われわれがどうやっても、その住んでいる穴からおびき出すことのできない昆虫のように、愚者にその愚かさの殻を脱がせ、彼を彼の盲目の世界からしぱらく散歩につれ出し、彼が慣れきってしまっている鈍重な視覚をもっと鋭敏な物の見方と比較してみるよう強制する方法はまったくないのである。
ばかは死ななければなおらないのであって、ばかには抜け道はないのだ。

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『デモクラシーの毒』藤井聡、適菜収/著 新潮社 2015年発行
超デモクラシーの時代 より
適菜 スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットは、近代以降の政治的変革は「大衆の政治権力化」以外のなにものでもないといっています。デモクラシーの毒はかつては自由主義や法を尊重する姿勢により、かなり薄められてきたと。しかし、オルテガが『大衆の反逆』を書いた1929年の時点において、すでに「超デモクラシーの勝利」とでも呼べるような状況が発生している。大衆は法を軽視し、物理的な圧力を手段として自分たちの欲望を社会に強制するようになったとオルテガは指摘しています。
藤井 そうですね。
適菜 かつての大衆は、公の問題に関しては謙虚な姿勢を示していた。たしかに政治家には欠陥もあるが、それでも自分たちよりはまだ判断能力をもっていると考えていた。しかし、超デモクラシー社会においては、喫茶店や床屋の世間話からえた結論を、社会に強制することが正義であると信仰するようになる。これは歴史的に見て、きわめて異常なことだとオルテガは言います。今の世の中は発言することが善であるという価値観で埋め尽くされている。それで、素人の意見がプロに押しつけられたり、ツイッターネット掲示板脊髄反射的な言葉が並ぶようになってしまった。昔だったらガキが政治の話をしたら、父親がピシッと叱ったわけじゃないですか。
藤井 わからないことに口を出すな。黙っていろと。
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適菜 戦争をあおるのも大衆です。
藤井 国土強靭化の目的は危機管理ですが、首都圏直下地震南海トラフ地震、富士山噴火。サーバープロといった危機が控えている。最大の危機はこうした現実を「無視」すること、それ自体です。
適菜 見て見ぬふりをする。マキャベリは自由意志と運命は半々くらいだと考えるのが妥当だと言っています。川は荒れ狂うことがあるが、平時に堤防や堰を築けば管理することができる。同様に、運命が破壊をもたらすのは、抵抗する力が組織されていない場合であると、これは国家についても言えることです。
藤井 そしてきちんと警告している人に冷笑を浴びせる。逆に言えば、危機を直視しない風潮をつくり上げている奴が存在していることが、わが国の、文字通りの「最大の危機」だと思います。
適菜 極度に進行した大衆社会において、橋下みたいなデマゴーグを許容する空気がつくられてきた。それで「採算がとれない公共事業はやめたほうがいい」などとバカなことを言い、病院などの公共施設をつなぐコミュニティバスを廃止したりする。採算がとれないから自治体がやっているのに。こうしたひっくり返った世界に住んでいる人たちが、橋下に投票してしまう。オルテガが言うように、大衆は常に自分のクビを締める選択をする。
藤井 オルテガは、近代において人間は努力をしなくても死ぬことがなくなったと言っている。それで、自分が無能であるにもかかわらず有能であると感じるような人々が増えてきたと。
適菜 万能感ですね。