じじぃの「人の生きざま_672_谷・亮子(柔道選手・政治家)」

谷亮子

五輪 緊急特集 「ママでも金」〜谷亮子 3連覇へ〜 スポニチ
谷亮子(たに・りょうこ 1975年9月6日 - ) 福岡県生まれ。
92年のバルセロナ五輪(初出場)、96年のアトランタ五輪と2回連続で銀メダル。00年のシドニー五輪で初の金メダルに輝くと、03年に結婚。04年のアテネ五輪で連覇を達成し、「田村(旧姓)でも金、谷でも金」と喜んだ。世界選手権6連覇、福岡国際11連覇、全日本体重別11連覇など驚異的な記録を保持している。1メートル46センチ、48キロ。
http://www.sponichi.co.jp/olympic/special/beijing_special/beijing_tani/kijilist.html
別冊宝島 2016年発行
五輪スターたちの敗れざる「人生劇場」 谷亮子(柔道) 柔道界が猛反対した政界転身の収支決算 (一部抜粋しています)
今年の参院選で「不出馬」という選択をし、国会議員のバッジを外した谷亮子
現職の国会議員が特に理由もなく選挙に出ないというケースは珍しいが、谷の場合は、「賢明」な判断をしたと見られている。
「彼女の評判は、すくなくとも永田町では悪くない」
と語るのは全国紙政治部記者だ。
「彼女は今回、選挙前に生活の党を離党しなかった。もし離党して他党から出馬すれば、自動的に生活の党は政党要件を失い、一気に壊滅が確定するところだった。谷が任期満了をもって離党し、自身がバッジを捨てる覚悟を決めたからこそ、生活の党は選挙で最低限の議席を確保することができたのです。
普通に活動するだけで、国会議員以上の年収を稼げる谷にとって、議員職はしがみつくものでもないのだろうが、かといって一度離れた柔道界からは本格的な「カムバック」を望む声は聞こえてこない。
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前回の五輪で、日本の柔道界は男女合わせて金が1個と最低の成績に終わり、テコ入れが必要だという認識は関係者に共通している。しかし、圧倒的実績を誇る谷でも「テコ入れにならない」と思われているとすれば、それも問題である。
1992年のバルセロナ五輪以降、5度オリンピックい出場して2度の金メダルに輝いた「ヤワラちゃん」。本来であれば、自分を育ててくれた柔道界で指導者として残る道が自然だったと思われるのだが、どうしてそうならなかったのか。
「彼女には人望がなかった。自分自身が輝いていないと気が済まないという性格もそうだが、現役時代、もっとも軽量級での活躍ということもあって、実績とは別に、広範な指導力ないと断言する関係者もいる。また、ああみえて国会議員時代にも2度、不倫疑惑報道があったように、決して清廉なイメージがあるわけでもない。むしろ柔道界では、あの吉田英彦を”襲った”という伝説が有名すぎて、ネタになっている。彼女は現場の指導者としての自分のイメージをはなから持っていないのだと思います」
国民的柔道少女として活躍した「田村亮子」時代の彼女は、もうどこを探してもいなくなってしまったようである。