じじぃの「科学・芸術_20_大正デモクラシー」

【画像】 大正時代の日本人可愛すぎ 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oy1EcJRnIE4
「民主主義を守ってほしい」 オバマ米大統領お別れ演説 (追加) 2017年01月11日 BBCニュース
バラク・オバマ米大統領(55)は10日、地元シカゴで大統領として最後のお別れ演説を行い、国民に民主主義を守るよう呼びかけた。
http://www.bbc.com/japanese/38579643
大正デモクラシーとは、どういうのをいうのですか? 2009/11/20 Yahoo!知恵袋
回答
何をもって「大正デモクラシー」とするかについては諸説ある。
政治面においては普通選挙制度や言論・集会・結社の自由に関しての運動、外交面においては生活に困窮した国民への負担が大きい海外派兵の停止を求めた運動、社会面においては男女平等、部落差別解放運動、団結権ストライキ権などの獲得運動、文化面においては自由教育の獲得、大学の自治権獲得運動、美術団体の文部省支配からの独立など、様々な方面から様々な自主的集団による運動が展開された。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1433197039
『教科書が教えない歴史(3)』 藤岡信勝自由主義史観研究会/編 産経新聞社 1997年発行
最も輝かしく機能した大正時代 (一部抜粋しています)
明治憲法下での議会政治について、みなさんは学校で、あるいは学生時代、どのように学んだでしょうか。もしかしたら、今日のような議会政治はなかったかのように習っているかもしれません。しかし、明治憲法の下で大いに民主主義が発達した一時代がありました。それが大正時代です。明治は45年、昭和は64年、それに比べて大正はわずか15年です。しかし明治憲法がもっとも輝かしく機能していたのは、この15年であったといってもいいでしょう。
明治憲法下では、首相は国会に議席がなくてもよかったのですが、議会を無視して政治を行うことは不可能です。政党政治家以外の首相たちもみんな与党をバックに議会運営を行っていたのです。
大正時代には、旧勢力の政治家が衰退し、政党政治家がリーダーシップを発揮しました。2度にわたる憲政擁護運動は、世論やマスコミの応援もあって、藩閥勢力をバックにした桂太郎貴族院をバックにした清浦圭吾両首相をやめさせ、政党こそが政治の主役であることを示しました。そして大正末には、ついに衆議院の多数党の党首が首相になるという慣例を生みました。
初の本格的政党内閣といわれる原敬の内閣は、外務、陸軍、海軍以外の大臣をすべて与党・立憲政友会から選びました。まもなく政友会は総選挙で絶対多数を獲得して積極的に政治を行いました。
国民の代表として選ばれた議員が、国会でいろんな意見を出し合い、よく話し合って最後は多数決で決める。これは今の日本国憲法の下で初めて決められた原則ではありません。明治憲法の下でも、民主的な議会政治は充分に機能できたのです。
確かに、日本国憲法下のように「国会は国権の最高機関」ではなかったので、軍や政府に対して弱いという側面もありました。しかし、政府の予算も軍の予算も、政党の強力がなければ成立しなかったのは事実です。
大正時代末期に首相をつとめた加藤高明(憲政会)は高橋是清立憲政友会)、犬養毅革新倶楽部)と協力して「護憲三派内閣」を組織しました。加藤内閣は、普通選挙法と治安維持法という2つの重要な法案を通しました。
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こうして見ると、大正時代は、明治憲法下での議会制民主主義が十分に発達できたということを示す具体例といえます。もちろんそこには限界があったことも事実です。また、昭和に入って、国際情勢や経済が行き詰ったことも、日本の議会政治の発展を阻害しました。
そして、何よりも、その後の政党政治家たちの政治的な未熟さが、昭和の悲劇を招来したといえるでしょう。