じじぃの「神話伝説_163_ゼノン(ストア派)」

哲学入門13 ストア派の禁欲主義とは? 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kvPu9iZ2hxw
ゼノン

ストア派 ウィキペディアWikipedia)より
ストア派はヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めにキティオンのゼノンによって始められた。
破壊的な衝動は判断の誤りから生まれるが、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人はこの種の衝動に苛まされることはない、と説いた。
ストア派が関心を抱いていたのは、宇宙論決定論と人間の自由意思との関係や、自然と一致する意志(プロハイレーシスと呼ばれる)を維持することが道徳的なことであるという教説である。このため、ストア派は自らの哲学を生活の方法として表し、個々人の哲学を最もよく示すものは発言内容よりも行動内容であると考えた。
ストア派は破壊的な衝動に打ち勝つ手段として自制心や忍耐力を鍛えることを説いた。明朗で先入観のない思考によって普遍的理性(ロゴス)を理解することができると彼らは考えた。ストア派の最大の特徴は個人の道徳的・倫理的幸福を追求することにある: 「『徳』は自然と一致した『意志』にこそ存する」 この思想は対人関係のような分野にも適用される; 「憤怒、羨望、嫉妬から解放されること」と奴隷をも「全ての人は等しく自然の産物なのだから他の人と対等だ」と認めること。ストア主義は、非道な権力に抗する際や、災難の続く事態に対峙する際の慰めとなった。

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佐藤優さん、神は本当に存在するのですか?』 竹内久美子佐藤優/著 文藝春秋 2016年発行
愛する隣人って誰のこと? より
佐藤 聖書に収められている「使徒言行録」は、パウロを中心とした人たちがキリスト教を換骨奪胎し、異質なものにしていく物語なんですよ。パウロは宣教にあたって競合する連中を片っ端からパージしていく。ついには完全にパウロ教のキリスト教につくり替えてローマに住み着いたところで終わりになっています。
竹内 ローマで投獄されてそのまま死ぬんではなかったのですか。でも、パウロという人間がいたことは事実ですか?
佐藤 それはほぼ文献的に実証されている。
竹内 たった1人でつくり上げたんでしょうか?
佐藤 パウロに従った人たちはいたけれど、パウロという男なしに今のキリスト教はありえませんね。「パウロ書簡」のいくつかは獄中から出しているんだけど、つまり檻の中にいても、看守をたらし込むだけのカネと知恵があったから外に持ち出せたわけで、パウロというのはそれほど強烈な個性の持ち主だった。
竹内 いや、聖書をはじめいろんなキリスト教関係の本をにわか勉強しましたけど、パウロが一番のワルです。頭の良さにも感心させられましたけど。
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竹内 そんなペトロが「使徒言行録」ではパウロと並ぶ主人公になっていませんか?
佐藤 途中まではね。やはりカトリック教会では、ペトロがイエスの継承者ということになっているので軽視できない。ただ、聖書に書かれているペトロ像は、歴史実証性からはほとんど説明できない事柄です。それでもカトリック教会にすれば、ペトロがイエスから鍵を渡された一番弟子であるということが重要なんですよね。正教会はペテロもパウロもあまり重視せずにヨハネを重視していますけど。
竹内 だから、「ヨハネによる福音書」だけが他とは違ってるのか。
佐藤 そう。キリスト教の系統によって、どこを重視するかが違うんですね。プロテスタンティズムは圧倒的にパウロ教ですから。
竹内 いや、それで「隣人」のこともパウロ教のことも、だいぶ整理されてきました。だけど一般に、キリスト教というのは誰にでも慈悲を説くものと思われてるでしょう?
佐藤 それはストア哲学が混入しちゃって、ストア哲学の博愛を、キリスト教の愛だと勘違いしてるんでしょうね。
竹内 勘違い?
佐藤 博愛はストアの発想です。1世紀のギリシャで、ちょうどキリスト教が入ってきたのと同じ頃に流行したのがストア哲学で、心の平静と万人に対する普遍的な愛を説く。この場合の万人とは、すべての人類という意味です。あの当時のギリシャ哲学はみな、観念的、抽象的なんです。だって生活になんの心配もないポリスの知識人がたたかわしていた議論ですから、それに対してキリスト教の隣人愛は万人向けではない。「汝自身を愛するように」という言葉がポイントで、可愛い奴は思いっきり可愛がろう、自分自身を可愛がるように可愛がろうという、いわば依怙贔屓(えこひいき)な愛ですからね。
竹内 そういうストア哲学みたいな観念的な議論って役に立たないから消え去りませんか? パウロのような現実的な教えに取って代わられますよね?
佐藤 消え去ります。現にパウロ教は広まっていきました。そして現在あるキリスト教は、ストア的な博愛を建前としつつ、事実上は偏愛をすすめていくというダブルスタンダードになっている。それらを適宜使い分けるのがキリスト教の特徴です。ずるい宗教なんです。このハイブリッドな構造こそが、キリスト教が長持ちする原因なんですよ。
竹内 なるほどお、理想を求めるタイプの人もスカウトできるし、現実的な人もスカウトできる。うまいことやりますね。
佐藤 聖書を読めばよく分かるけれど、キリスト教というのは、そもそもユダヤ教の時代から、人を選別して、気に食わない者は皆殺しにする――ジェノサイドが専売特許ですからね。イエスキリスト教だって、その伝統は消えてないわけで、博愛でもって人類を等しく愛することなんて考えないですよ。