ピグー コトバンク より
アーサー・セシル・ピグー(Arthur Cecil Pigou、1877 - 1959)。
イギリスの経済学者。ケンブリッジ大学キングズ・カレッジ卒業。 1903〜04年ロンドン大学講師、04〜07年ケンブリッジ大学講師をつとめ、08年 A.マーシャルの跡を継いで 43年まで同大学経済学教授。
ピグー効果 コトバンク より
価格水準の下落による保有貨幣の実質的価値の増加が消費や貯蓄に与える効果をいう。
J. M.ケインズ (およびケインズ学派) と A. C.ピグーとの間に戦わされた雇用理論に関する論争において、ピグーは貨幣賃金の切下げが価格水準を引下げるというケインズの主張を認めたうえ、「価格水準の下落によって所有貨幣の実質的価値は増加し、より一層の物価下落はないという期待のもとで貯蓄意欲は減少し、消費支出は増大する (ケインズの主張する利子率の低下という経路を通ることなく) 。
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『数学嫌いな人のための数学―数学原論』 小室直樹/著 東洋経済新報社 2001年発行
経済がうまくいかないときの発想法 (一部抜粋しています)
ある命題が真であれば、その対偶の命題も真である。ある命題が偽であれば、その対偶も偽である。正の命題と偽の命題の真偽は一致する。一方が真であれば他方も真である。一方が偽であれば他方も偽である。
欧米の学者は、数学的用語に習熟しているせいか、何かものを考えたり、議論したりするとき、割合に平易に対偶に手を伸ばして自由に使いこなしている。前提と帰結をひっくり返したり、否定をしたりすることを、割合に自由に行っている。歴史的に有名な例としては、ケインズ・ピグー論争のときのピグー(Arthur Cecil Pigou イギリスの経済学者、厚生経済学の始祖、1877 - 1959年)の論理である。
古典経済学の最も基本的な命題は、
市場を自由競争に任せておけば、経済はうまくゆく。
というものである。この命題の対偶をとれば、
経済がうまくゆかなければ、市場は自由競争に任せられていない。
となる。この論争の舞台は1930年代、大恐慌時代である。ときに、膨大な失業者が発生した。古典派の教義によれば、市場を自由競争に任せておけば(自由放任主義 laissez-faire)、「経済はうまくゆく」すなわち、「経済はうまくゆかないことはない」ということになる。「失業が出る」ということは、もちろん、「経済がうまくゆかない」ことである。
対偶をとれば、当然、「市場は自由競争に任せられていない」ことになる。ピグー教授は、古典経済学の首領(かしら)である。彼は、失業の原因を、市場が自由競争に任せられていないことに求めた。
「市場が自由競争に任せられている」とは、「すべての市場が自由競争に任せられている」という意味である。先ほどの全称命題、特称命題の話を思い出してもらいたい。自由競争に任せられていない市場が1つでもあれば、「市場が自由に任せられている」という命題は成立しない。そうすれば、古典派の教義の対偶が成立して、「経済はうまくいく」の否定「経済はうまくいかない」が成立する。つまり、失業が発生してもおかしくない。
これが、古典派の代表ピグーの論理である。まことに理路整然たるものがあるではないか!
そこで、この論理を貫徹させるためにピグーは、自由競争に任せられていない市場はまいものかと、鵜の目鷹の目で、懸命に探しにかかった。
そうしたら、見つけた! ここにあった。自由競争に任せられていない市場を、ピグーは、ついに発見したのであった。
労働力市場である。労働力も商品だけれども、労働力の価格(wage rate 賃金率)は自由には動かない。イギリスは、資本主義の最先進国であったが、資本主義とともに労働組合も発達した。当時、労働組合の最先進国でもあった。
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このように、ピグー教授は、市場が自由競争に任されていないことに失業の原因を求めた。ケインズ・ピグー論争自体の検討は、長くなるのでこの場では割愛しておく。
ピグー教授の対偶の使いかたは手本にしてもよい見事なものである。米英人は、このようなタイプの議論をすることが好きなのである。