じじぃの「人の生きざま_655_古舘・伊知郎(司会者)」

古舘伊知郎、久々『おしゃれ』出演 上田晋也は戦々恐々「絶対渡さない!」 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bnXmWIlMY5s
古館実況 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1qDzGYYMXW0
古舘伊知郎 コトバンク より
古舘 伊知郎(ふるたち いちろう、1954年〈昭和29年〉12月7日 - ) 昭和後期-平成時代の司会者。
昭和52年テレビ朝日に入社。プロレス中継で絶叫調の過激アナウンサーとして人気をえる。59年フリーとなり、NHK「クイズ日本人の質問」ほか、バラエティー・歌謡・お笑い番組などでマルチ司会者として活躍。平成6-8年NHK紅白歌合戦」の司会、16年より「報道ステーション」のメインキャスターをつとめる。東京出身。立大卒。

                          • -

週刊ポスト 2016年7月1日号
笑刊ポスト テレビが新しく面白かった時代を一緒に駆け抜けた男が帰ってきた 【編集長】高田文夫 より
「報道」という名の窮屈とストレスから12年ぶりに解放され、また陽気で人一倍饒舌な古舘伊知郎が、我々が長く住むバラエティという長屋へ帰ってきてくれた。むしょうに嬉しい。当人曰く「あまりはしゃがず、自省しながら」と言うが、これだけの才能『報道ステーション』だけに埋もれさせておくのはもったいない。
テレビでトントンと2本、爆笑のうちにしゃべりの名刺交換を済ませ、肩をあたため、6月13日、自身復帰後初となるラジオの生放送に『高田文夫ラジオビバリー昼ズ』を選んでくれた。たった今、90分をしゃべりたおし興奮もさめやらぬうちにこれを書いている次第。
丸12年冗談ひとつ言えぬ番組暮らし、それはもう大変な日々だったと思う。まさに”会話とはキャッチボール”。若き日、私はボキャブラリーの宝庫といわれた時代にコピーを付けた通り。高田名人との打てば響くやりとり、さぞや心地良かったと思う。
思えば30年以上前、1984年にテレビ朝日を退社する時、私にも相談にきてくれた。私は「フリーでも絶対やれるから」と太鼓判を押し、当時飛ぶ鳥を落としていた『オレたちひょうきん族』の中に「ひょうきんプロレス」というのを考えて笑いのリングを用意した。
     ・
フリーなんか怖くないと、古舘氏にはいろんなことをやってもらった。お正月には元旦名物、8時間も続く生放送(私は30年近く構成をひとりでやっていた)『初詣! 爆笑ヒットパレード』でヘリコプターに乗ってもらい、元旦風景の実況。「おーっと目黒区上空、あそこは華燭の典を終えたばかりの郷ひろみ二谷友里恵の家であります。オエッ」。ヘリコ酔いして、もどしそうになっていた。
今のようにコンプライアンスなど言わなかった時代、テレビが最も新しく面白かった時代を一緒に駆けぬけた古舘氏がまた帰ってきてくれたことが至福。下町のなつかしいにおいがした。