じじぃの「人の死にざま_1688_ロアルド・ダール(小説家)」

ロアルド・ダール

ロアルド・ダール
Roald Dahl (1916-1990) was born in Llandaff, South Wales, and went to Repton School in England.
His parents were Norwegian, so holidays were spent in Norway. As he explains in Boy, he turned down the idea of university in favor of a job that would take him to"a wonderful faraway place. In 1933 he joined the Shell Company, which sent him to Mombasa in East Africa.
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AB/e/B000AQ0WGQ
『短編小説を読もう』 阿刀田高/著 岩波ジュニア新書 2005年発行
ダール 『牧師のたのしみ』 (一部抜粋しています)
またまた一転してロアルド・ダール(1916 - 1990)の『牧師のたのしみ』を挙げましょう。イギリス生まれのアメリカ人作家。作品の数は極端に少なく、文学史で語られることも少ない作家ですが、いくつかの名品を残しています。主人公のボギス氏は牧師の姿をしていますが本物の牧師ではありません。大きな自動車を運転してさながら巡回牧師のように田舎をめぐり歩き、旧家に眠っている骨董品を見つけだし、安値で買いつけようという、どとらかと言えばペテン師に近い存在です。相手を油断させ、家の中に入り込むために牧師の服装をしているわけです。
ある日、ボギス氏はとれつもなくすばらしい家具を見つけます。チッペンデールの整理箪笥、博物館に飾るほどの家具です。なのに持ち主はその価値を知りません。かけ引きがはじまります。
 「この箪笥がほしい」
と、あからさまに言ったら本心を見抜かれるでしょう。そこで急に気がついたようにながめ、いろいろとけちをつけ、
「それはそうと」と、彼は箪笥を見ながら、語尾が聞きとれないほどのなにげない口調でいった。「私はいま思いだしたんだが……私は長いこと、そんなような脚を一組、欲しいと思っていたんです。私の家にはたいへん不思議なテーブルがありましてね。ソファの前に置いたりする、高さの低いやつで、コーヒー・テーブルみたいなものですが、去年のミカエル祭に引越しをしました時、頓馬(とんま)な運送屋がテーブルの脚をすっかりめちゃくちゃにしてしまった。私はそのテーブルがたいへん気に行っていましてね。いつもその上に大きな聖書や説教の覚え書をのせているんです」
彼は一息つくと指で顎(あご)をなでた。「それでいま考えたんですがねえ。お宅の箪笥の脚は、家のテーブルに実にぴったり合いそうなんですよ。ええ、きっと合うでしょう。簡単に切断して、私のテーブルにつけることができます」(開高健・訳)
ほしいのは脚だけなんだが、と訴えます。
相手は3人、田舎の人もけっこう欲ばりで、したたかですが、本職のペテン師にはかないません。このあたりのかけ引きがこの小説の白眉(はくび)です。結局、チッペンデールにしては法外の安値で取引が成立します。ボギス氏は(なにしろ巡回牧師を装っているのですから)特大の車は不自然に見えるだろうと、いつも自動車を村の外に置いて宝探しをしています。それを取りに行きますが、残った売り手側の3人は(なにも知らないから)思ったより高く売れたとほくそ笑みますが、そのうちに、どでかい箪笥を見直して、
 「こんなものを、いったい、どうやって車に積むんだね?」とクロードは無遠慮につづけた。「どっちにしたって、牧師がでっかい車を持っているわけがない。でっかい車を持った牧師さまに会ったことがあるかね。ラミンズさん?」
 「わからねえな」
 「そうだろうとも! そこでだ、俺の話を聞いてくれ。奴さんは俺たちにこういったろうが、欲しいのは脚だけだって。そうだったろう? だから奴さんがもどってくる前に抜かりなく、大急ぎで脚を切り落としてしまえばいいんだ。そうすりゃ、絶対に車に積み込めるだよ。つまり、奴さんが家にけえって、脚を切り落とす手間を省いてやりゃあいいってことさ、こいつはどうだね、ラミンズさん?」クロードは牛のような、表情のない顔をしたりげに輝かせた。
つまり、せっかく商談が成立して、うまくやったと思ったのに、戻って来た牧師が「車に積めないからいらない」などと言いだしたらつまりません。そこでほしいのが脚だけなら切ってしまって文句の言えないようにしておこうという相談です。
その通り実行され、牧師が意気揚々と車で戻って来ると……というストーリーです。田舎ののどかな風景とあいまって楽しい短編になっています。