じじぃの「人の死にざま_923_ロバート・スコット」

ロバート・スコット - あのひと検索 SPYSEE
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One last adventure The last voyage of Robert Falcon Scott 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=-tiw7q9Un9U
90 Degrees South 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=PKBttUMKND4&feature=related
ロバート・スコット ウィキペディアWikipedia)より
ロバート・ファルコン・スコット(Robert Falcon Scott)は イギリス海軍の軍人。南極探検家としても知られ、1912年に南極点到達を果たすが、帰途遭難し、死亡した。
【生涯】
1910年から1912年にかけて、南極探検(テラ・ノヴァ号の探検)が行われた。学術調査だけでなく、ノルウェーと人類史上初の南極点到達を競うことになる(後述)が、2着に終わり、さらに帰路1912年3月29日、死去した。43歳没。同年10月に救援隊により遺体が確認され、遺品の一部が回収されたが、遺体は現在も回収されていない。
ロアール・アムンセン ウィキペディアWikipedia)より
ロアール・アムンセン(Roald Engelbregt Gravning Amundsen)は、ノルウェーの探検家。英語での発音による「ロアルド・アムンゼン」とも表記される。
主に極地に挑んだ探検家として知られる。イギリス海軍大佐のロバート・スコットと人類初の南極点到達を競い、1911年12月14日には探検隊を率いて人類史上初めて南極点への到達に成功。また、1926年には飛行船で北極点へ到達し、同行者のオスカー・ウィスチングと共に人類史上初めて両極点への到達を果たした人物となった。
【その後】
帰還後もドルニエ・ワール飛行艇や飛行船ノルゲ号による北極点通過を行い、人類初の両極点到達など精力的に活動した。1927年には報知新聞の招待で来日している。
1928年、北極を飛行機で探検中に近くで遭難した、飛行船イタリア号によるイタリア探検隊のノビレ隊の捜索にラタム 47で赴き、行方不明となる。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
スコット (1868-1912) 44歳で死亡。 (一部抜粋しています)
探検家のスコットである。
1910年から1912年にかけて、イギリス海軍大佐スコットは、ノルウェーアムンゼンと国家の栄光をかけて、人類最初の南極点到達を争った。
彼と4人の隊員は、当時としては考えられる限りの、しかし現代から見れば無謀としかいいようのない装備で、基地から2ヵ月半の日時をかけ1480キロ、酷寒の中を前身しつづけて、1912年(明治45年)1月17日、ついに南極点に達した。しかるに彼らがそこに発見したのは、ちょうどその1ヵ月前に同地に達したアムンゼン隊が残していったノルウェーの国旗であった。
スコットは手帖に書いた。「ノルウェー隊はわれわれの機先を制して、極点への第1到達者となりたり。そはわれらにとりてすさまじき落胆なりき。……吹き荒るる風、気温マイナス29度、寒気は骨に達し、神よ! ここは恐怖の土地なり」
彼らは、落胆しつつ、全力をあげて基地への帰還を急いだ。「帰還は辛苦そのものとなるべし」としたスコットの予想は的中した。帰還中、3月29日。
「……テントの外にはただ荒れ狂う風雪(ブリザード)あるのみ。今や何ら好転の希望を持ち得ず。われらは最後まで奮闘せざるべからず。されど身は刻々と弱りゆきて終極は遠からざるべし。遺憾千万のことなれども、もはやこれ以上書きつづくること能わず。神よ、願わくはわれらの家族の上を見まもり給え」
という最後の記録を残して、スコット隊は絶滅した」

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