じじぃの「人の死にざま_1683_横井・庄一(陸軍軍人・グアム島)」

【戦争伝説】「横井庄一」グアムで28年間まだ戦争だと思っていた伝説の日本兵 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Q4vjv-u2ALw
横井庄一

ジャングルで28年サバイバル生活「横井庄一記念館」【愛知】 日本珍スポット100景
横井庄一(1915〜1997)氏とはどんな方か?
彼は元伍長の日本兵。太平洋戦争で召集され1944年からグアム島に配属。しかし1945年の敗戦も無条件降伏も知らされず、28年間もの長きにわたってジャングルの中でサバイバル生活を続けたという驚きの人です。
http://bqspot.com/tokai/aichi/372
『20世紀を一緒に歩いてみないか』 村上義雄/著 岩波ジュニア新書 2001年発行
横井さんと小野田さん (一部抜粋しています)
第一報が社会部デスクに入ってきたとき、突然、時計の針が逆に周りはじめたような錯覚に襲われた。1972(昭和47)年1月24日、グアム島の密林で元日本兵横井庄一さんが見つかったときの話である。グアムはすでに日本人の観光客でにぎわう人気抜群のリゾート地になっていた。たしかに太平yプ戦争のときの激戦地。たくさんの悲劇を生んだ島にはちがいない。だが、戦後、4分の1世紀を越える年月がたっている。海辺でビキニの水着姿がたわむれる光景と戦争がなかなか結びつかなかった。
横井さんを見つけたのは現地の住民2人。タロホホ川という名の川へ魚を捕りに行ったとき、エビをとっている年輩の男を発見、少し取っ組み合いになったらしいが、すぐおとなしくなり、たずねると元日本兵だと打ち明けた。警察が保護し、事情を聞くと愛知県の実家の住所や名前を素直に話した。愛知県富田村(現在の名古屋市中川区)出身の旧日本軍陸軍軍曹、横井庄一さんであることが確認された。
グアム島も密林で昼間は穴倉に潜み、夜は魚を捕り、木の実を食べて生きた28年だった。戦争に行く前は洋服の仕立て職人をしていた。その知恵と技術を活かし、木の葉の繊維を編んで着るものを作った。”住まい”の穴は竹や葉っぱで覆い、見つかりにくくしてあった。実は石と石をたたいて出る火花を利用した。
戦争が終ったのは、うすうす気がついていたらしい。しかし、人のいるところへ出ていくと殺されるのではないかと心配で「閉じこもり」をつづけた。「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受くるなかれ」(捕虜になるなら死を選べ)と教えこんだ日本軍の「戦陣訓」(いわば軍人の教典)が頭から離れなかった。
横井さんはグアムの病院で静養したあと、2月2日、羽田空港に帰国した。帰国第一声は、
「私、横井庄一、恥ずかしながら、生きて帰ってまいりました」
だった。「恥ずかしながら」が当時の流行語になる。その年の12月に結婚、繁栄の道を突っ走っていた日本人に向かって「耐乏生活評論家」として「節約」をよびかけつづけ、1997(平成9)年9月22日、心筋梗塞で亡くなった。82歳だった。