じじぃの「科学・芸術_11_コンクリートとローマ」

イタリア ローマ 観光 − コロッセオ 動画 YouTube
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The Pantheon

コンクリート ウィキペディアWikipedia) より
コンクリート(concrete、混凝土)は、砂、砂利、水などをセメントで凝固させた硬化物で建築土木工事の材料として多く利用される。セメントを水で溶いて混ぜただけのものをセメントペースト、これに細骨材の砂を練混ぜたものをモルタルと呼び区別する。
【歴史】
歴史は古く、ローマ人がヴェスビオス火山山麓にあった火山灰、石灰、砕石を混合したものが水中で硬化し、強度を増すことに気付き、橋、水道橋、伽藍など建築物や構造物、構築物を造っていたことに始まる。ローマにある伽藍のドームは型枠すら使用されていた痕跡が確認されている。ローマに現在も残るパンテオンは鉄筋を使用していないコンクリート建築としては世界最大級のコンクリート製ドームの墓であり、ローマン・コンクリートがむき出しの状態である。
最近の評価では、ローマン・コンクリートは現代使用されるポルトランドセメントと比較しても圧縮に対する強度は200kg/cm2と大して変わらないが、鉄筋を使用していない分、引っ張りに対する強度ははるかに低かった。ローマン・コンクリートの骨材には主に瓦礫を使っていた。

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『この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた』 ルイス・ダートネル/著、東郷えりか/訳 河出書房 2015年発行
石灰モルタル (一部抜粋しています)
石灰モルタルは何千年ものあいだ使われてきたが、建築の本質を買えたのはローマ人が最初に大量生産した新しい物質だった。消石灰をポッツォラーナとして知られる火山灰と混ぜてつくるカエメンティキウムが石灰モルタルよりも早く固まるうえに、数倍も強度があることにローマ人は気づいた。混ぜ合わせるのは細かく砕いたレンガや陶片でも構わない。このすばらしく強力な無機質の接着剤、すなわちセメントがあれば、ただ順番に並べたレンガをつなぎ合わせるよりはるかに多くのことができる。石や瓦礫を寄せ集めたものを固めることもできる。つまり、コンクリートがつくれるのだ。建築技術におけるこの革命のおかげで、ローマ人はローマにあるコロッセオパンテオンの巨大ドーム屋根のような畏怖の念をいだかせる構造物を建てることができた。ローマのパンテオンは、1つなぎの(鉄筋のない)コンクリート・ドームとしてはいまなお世界最大である。
しかし、ローマ帝国の交易力および海軍力を築くのに本当に役立ったのは、セメントのもう1つの、ほとんど魔法のような特性だった。それは、ポッツォラーナもしくは砕いた焼き物でできたコンクリートが、完全に水没しても固まっていることだ。石灰モルタルとは異なり、セメントは水中で硬化すると言われ、別の化学的経緯をたどって固まる。火山灰はアルミニウムとケイ素を含んでおり――粘土の成分として前述したもの――これらは消石灰と化学反応を起こして。水和するなかで格別に強力な材料となる。
水硬性材料は技術面で重要な進歩を導いた。ポッツォラーナのセメントは、ローマの海洋土木および港湾施設の建設を勢いづけた。やみくもに大きな石の塊を水中に沈める代わりに、ローマ人は自立式構造物を建設するために海にじかにコンクリートを流し込み、桟橋、防波堤、護岸、灯台の土台などを建設できるようになったのだ。この技術によって彼らは、アフリカの北海岸のように、自然の港がほとんどない地域でも、軍事上または経済上の理由から必要になれば、港の建設が可能になった。こうして、ローマの船は地中海を支配するようになったのである。
強力なセメント、万能なコンクリート、防水効果のある漆喰に関するこのきわめて重要な知識は、ローマ帝国の崩壊とともに歴史のなかにほとんど埋もれてしまった。中世の文献にはセメントに関する記述は皆無で、ゴシックの大聖堂も石灰モルタルのみを使って建設されている。もっとも、知識はどこかには保存されていたようだ。水硬性せめんとは中世を通して、各地の要塞や港湾に使われていたからだ。
しかし、近代のセメントの製造方法が発明されたのは、1794年になってからだった。「普通ポルトランドセメント」はローマのポッツォラーナのセメントのように火山の熱を利用する代わりに、石灰岩と粘土の混合物を特別の窯で1450℃前後で焼いて製造する。こうしてつくられた硬い焼塊(クリンカー)は、少量の柔らかく白っぽい粉末石膏――焼き石膏や、骨折した手足をギブスで固定するときに使われるもの――と一緒にしてつぶされる。それによって硬化過程が遅くなり、湿ったセメントで作業できる時間が長くなる。