じじぃの「神話伝説_152_ナチスとヒトラー!役割を演じる」

Tribute to Adolf Hitler We Love You ! 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6tFtOJ1ywao
子供たちを愛したヒトラー

Judenfrei: The Real Adolf Hitler
Perhaps never has there been a more misrepresented, misunderstood figure than Adolf Hitler. At his peak the most popular leader in Europe, and at his lowest a homeless drifter living in a Viennese shelter; Adolf Hitler's life and story is far more complex than most people would have you believe.
http://j-u-d-e-n-f-r-e-i.blogspot.jp/2012/12/the-real-adolf-hitler.html
ヒトラーと哲学者 イヴォンヌ・シェラット著 電子版(本の森
第1部「ヒトラーの哲学者」では、まずカントからニーチェに至るまでのドイツ哲学が伝統的に孕(はら)んでいた反ユダヤ主義・ドイツ人優越思想の系譜を辿(たど)っている。
第2部「ヒトラーの対抗者」では、ナチスの迫害によって自殺に追い込まれたベンヤミン、長期の亡命を余儀なくされたアドルノユダヤ人女性として格闘し続けたアーレント、そして正義感から白バラ運動を組織して自らの思想に殉じたクルト・フーバーの、それぞれの苦難の歴史が辿られる。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/books/2-0025290.html
アドルフ・ヒトラーのベジタリアニズム ウィキペディアWikipedia)より
アドルフ・ヒトラーは、酒を飲まず、煙草も嫌っていただけでなく、ベジタリアンであったとする説がある。リヒャルト・ワーグナーはドイツの未来とベジタリアニズムをむすびつけて歴史を論じているが、ヒトラーの食事もその理論に従っていたという仮説が立てられている。ヒトラーは菜食が個人的な健康問題を解消してくれ、魂の再生をもたらすものだと考えていた。

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『宇宙をつくりだすのは人間の心だ』 フランチェスコ・アルベローニ/著、大久保昭男/訳 草思社 1999年発行
「役割を演じる」ことの害悪 より
偉大な映画監督や、画家、音楽家においては、芸術作品の美しさと、その作り手の放逸な、時としてみじめな生活とをへだてる底知れぬ溝にしばしば驚かされることがある。ワグナーは、その作品によって私たちに崇高な情念を伝えてくれるが、一方、彼は私生活においては無軌道で貪欲であった。フランソワ・ヴィヨンやマルローは反社会的な人間であったし、ミケランジェロは陰気で、欲深く、短気な、まったく御しがたい人物であった。だが、現実につくりあげられた作品とは別個に、果された役割の外に立っている人物を道徳的に評価する必要がなぜあるのだろうか。その人物の苦心の成果だけで、その作品のみごとなできばえだけで十分なのではないだろうか。
しかしながら、ここで恐るべき問題がもちあがる。それは、すばらしく、立派で、まさに賞賛にさえ価する作品が、時に、ごく平凡な人物や卑しいくらいの人物によって創作されるということである。また、残忍かつ非人間的で、怪奇なまでの作品が、繊細でやさしく、善良な人物から生みだされることもある。この場合、その人物が自らの役割に勝っていたのであり、自らの作品よりすぐれていたといわざるをえない。自分の母親や妻子に対してはやさしいが、敵地を爆破したり、目を覆いたくなるような悲劇を引き起こすことになんらためらうことのない兵士の場合も同じである。マフィアについても同様のことがいえる。彼は一方では良き父親であり、信頼できる情の深い友人であるが、敵には冷酷非情な人物なのである。いずれの人物も、友と敵、平和主義者と戦闘員、そして愛情豊かな兄弟と冷酷な殺害者とを同時にあわせもっているのである。
私たち各人は、数々の役割を演じ、さまざまな方法で修得したいくつもの社会的仮面をまとい、さまざまな自我を生みだしながら、別の役割を演じている自我が行なっていることについては無知であるように見える。しかし、これらの分離されたそれぞれの自我のあいだでの接触あるいは一致なしに、道徳が存在しうるだろうか。
ナチスソ連強制収容所に書いている人のすべてが、その冷酷無惨な刑吏の多くは、実際にはごく平凡な家庭生活を営み、音楽を愛し、時には寛容な振る舞いさえできるような普通の人間であったと語っている。しばしば、彼らは几帳面で、厳格な最良の官吏であった。囚人たちを実験用のモルモットとして用いた科学者たちでさえもが、厳格かつ公平な人物たりえたのである。すべての者が、銀行員、弁護士、裁判官、工場労働者と同じように、「自らの任務」をあやまりなく追行していたのだと確信していたのである。彼らの道徳観は、法を遵守することで示され、職場の任務を的確に遂行することに費やされた。むしろ、そこに価値や誇りを見出していたのである。