じじぃの「人の生きざま_571_遠藤・誉(作家)」

【紹介】毛沢東 日本軍と共謀した男 新潮新書 (遠藤 誉) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fpe8_VEYJYk
遠藤誉

遠藤誉 ウィキペディアWikipedia) より
遠藤 誉(えんどう ほまれ、1941年 - )は、日本の物理学者、社会学者、作家。
1941年、満州国新京市(現:吉林省長春市)生まれ。日中戦争終結後も日本の独立回復まで中国で教育を受けた。長春包囲戦を体験。
北京大学アジアアフリカ研究所特約研究員、中国国務院西部開発弁公室人材開発法規組人材開発顧問、内閣府総合科学技術会議専門委員、中国社会科学院社会学研究所研究員(教授)、上海交通大学客員教授など。

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毛沢東は日本軍と共謀していた――中共スパイ相関図 2015年11月16日 ニューズウィーク日本版
中国は歴史問題で対日批判を強めているが、日中戦争時、建国の父・毛沢東は日本軍と共謀していた。中国共産党政権に歴史カードを掲げる資格はない。中共スパイ相関図により日中戦争時の中共側の真相を明らかにする。
まず、スパイ相関図「中共スパイと日本軍の共謀」(『毛沢東 日本軍と共謀した男』より抜粋。遠藤誉作成)をご覧いただきたい。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/11/post-4119.php
ワイドスクランブル 2015年11月26日 テレビ朝日
【司会】橋本大二郎大下容子 【コメンテーター】遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
中国は歴史問題で対日批判を強めているが、日中戦争時、建国の父・毛沢東は日本軍と共謀していた。
1939年、毛沢東は潘漢年(はんかんねん)という中共スパイを上海にある外務省の出先機関「岩井公館」に潜り込ませ、日本の岩井英一(当時、上海副領事)と懇意にさせた。
潘漢年が日本側組織に接触した目的は、蒋介石率いる重慶「国民政府」の軍事情報を日本側に高値で売ったり、日本軍に和議を申し込むためだった。
遠藤誉、「歴史を直視していないのは中国の方だ。中国共産党政権に歴史カードを掲げる資格はない。毛沢東日中戦争時代、日本軍と共謀していた」
http://www.tv-asahi.co.jp/scramble/
<遠藤誉が斬る>中国「防空識別圏設定」の真相―1年前から計画していた! 2013年11月27日 レコードチャイナ
2012年9月14日(日本時間)、中国の国連代表だった李保東は、尖閣諸島を含む海図を、「中国の領土」として潘基文(パン・ギムン)事務総長に提出した。
続いて同年12月13日午前11時前後、中国の航空機が尖閣諸島の上空で領空を侵犯。
9月11日の野田内閣による尖閣諸島国有化閣議決定を受けて、尖閣諸島周辺で中国の漁業監視船や海洋監視船が航行を続け、接続水域を出入りする状態が常態化していたが、領空侵犯までしたのは、このときが初めてだ。
実は12月13日は「南京事件」の日で、南京市では午前10時に巨大なサイレンが鳴って南京市民が黙祷をする習わしがある。日本と中国の時差は1時間。日本時間の午前11時前後は、まさにこの10時に当たる。
このとき同時に中国の監視船が尖閣諸島周辺の領海をも侵犯している。中国の国家海洋局のウェブサイトにはその瞬間、釣魚島の「立体巡航に成功した」という大きな文字が躍った。「立体巡航」とは領海を面積としてその垂線上方に延びる線を結ぶ「立体」を全て中国が領有権を持つ空間として「巡航」するという意味である。
中央電視台(中央テレビ局、CCTV)も、まるで戦争に勝ったような勢いで「立体巡航」を報道。ネット空間も炎上した。
この時の新華網のニュース記事などで、今でも「立体巡航」に燃えた中国の熱気を窺い知ることができる。
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=79661
『「中国外交戦略」の狙い 完全解読』 遠藤誉/著 WAC 2013年発行
中国、尖閣領有権主張の「本気度」と狙い より
2012年9月、反日で荒れ狂っていた中国では、CCTVが1時間ごとに日本への抗議を流し続けていた。しかし、「満州事変」のきっかけとなった9月18日(918)を過ぎ、10月1日の建国記念日国慶節)が近づくと突然、「スイッチを切り替えるように」抗議声明がピタリとやみ、「あなた、幸せですか?」と庶民に聞く特集番組へと移っていった。
11月8日からはじまる党大会の期間は、どんなことがあっても社会の治安を保っていなければならない。ネット空間にいる若者を刺激して、彼らが再びリアル空間に飛び出すことを警戒していたためだ。
一中全会(第一次中共中央委員会全国大会、2012年11月15日)が終わって新体制が動きはじめると、私は「いつごろから、また日本への抗議声明に沿った報道を再開するのだろうか」と、習近平政権の対日動向を日々追いかけていた。
そんなときに、ふと発見した南京軍区空軍の「超低空飛行訓練」。
ん? おかしい。海軍ではなく、空軍なのか……。
それとほぼ時を同じくして、習近平中共中央書記および中共中央」軍事委員会主席になった最初の視察地として広東省が選ばれた。日程は12月7日から11日。広東省は改革開放の発祥の地だ。「新政権も改革開放を重んじる」という意味で、広東を選んだことはたしかだろう。
しかし、どうもそれだけではないような雰囲気が漂っていた。改革開放という目的もあっただろうが、何か違うものを感じていたのである。
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そして三ヵ条の調示。その内容が実にすごい。
① どんなことがあっても、党の言うことに従うこと。それは強い軍隊になるための基本的な魂だ。いかなることがあっても、党の軍隊に対する絶対的な指導権を揺るぎなく肝に銘じるのだ。いかなる時もいかなる状況にあっても、党の言うとおりに行動し、党についていくこと。
② いつでも戦闘ができ、戦うからには絶対に勝利を勝ち取るというのが強軍たるものの要だ。戦闘態勢の基準に沿って、常にレベルを上げ準備を怠ってはならない。わが軍が「召集されたらすぐに集まり、集まったらすぐに戦い、闘ったら必ず勝つこと」を常に確保できるようにしておかなければならない。
③ 法を以て軍を治める。厳格に軍を統治することは強軍になる基本だ。必ず厳正なる生活態度と鉄の規律を保ち、部隊の集中的な統一と安全安定を確保すること。
この三ヵ条の調示を示したその場には、胡錦濤の腹心である中共中央政治局員で中共中央軍事委員会副主席の範長龍や、胡錦濤の弟子(共青団)である(その時点での)中国共産党広東省委員会書記・汪洋も同席していた。
習近平は「新南巡講話」と呼ばれたこのスピーチの最後に「中華民族の偉大なる復興」に触れた。
中華民族の偉大なる復興」という言葉は、習近平が総書記および中共中央軍事委員会主席に選出された一中全会のスピーチで使った言葉だ。これはまるで習近平政権のスローガンのように、一中全会以降、CCTVで放映しない日はなかった。