じじぃの「イエスにみる弱さ・私には居場所がない・弱さの向こうにあるもの」

What A Friend We Have in Jesus 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4XRmGEbH0qs

ハートネットTV 「シリーズ 20代の自殺 第2回 追い打ちをかける“社会の壁”」 2014年9月10日 NHK Eテレ
【司会】山田賢治 【ゲスト】安藤桃子(映画監督)、小島慶子(タレント・エッセイスト)、清水康之NPOライフリンク代表)
NHKに寄せられた600通にのぼる20代の若者からの『死にたい』というメール。
その1つ1つに耳を傾け、どうしたら少しでも『生きたい』に近づけるか? Eテレと総合テレビ、全5回にわたり考えます。
若い女の子が海岸の埠頭に立ち、海を眺めている映像が出てきた。
若い女の子、「いろいろな意味で自分は恵まれていなかった。仕事にしかり、家族のことしかり。自分には居場所がない。自分は社会からクズ扱いされている人間なんだろうと思う。だから死にたくなる」
今、自ら命を絶つ20代が後を断ちません。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2014-09/10.html
こころの時代 〜宗教・人生〜 「神は弱さの中にあり」 2015年10月25日 NHK Eテレ
【出演】木原活信(同志社大学教授)
「世の中は、通常、強いこと、物事を行う能力の高いことが評価される。しかし、人間は、もともと弱い存在であり、弱さを認め合うことで、生きやすい世の中に、多少なりともできるのではないか」と語る。
同志社大学教授・木原活信(きはら・かつのぶ)さん。長年、社会福祉に携わってきた。根底にあるのは、キリスト教の信仰。「自らの弱さを認める」とはどういうことか。
イエス・キリストの根本思想には、コンパッション(compassion、共感・共苦)がある」と語る。
https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=200-20151031-31-27048
『「弱さ」の向こうにあるもの イエスの姿と福祉のこころ』 木原活信 いのちのことば社 2015年発行
弱さと居場所 (一部抜粋しています)
「布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」(ルカ2・7)と記載されているが、イエスはどういうところで誕生したのであろうか。ご存知のとおり、「飼葉おけ」である。「飼葉おけ」というのは、わかりやすく言えば、家畜の餌入れのこと。歴史家によると、当時の「飼葉おけ」は石で作られていたようだ。「飼葉おけ」に生まれたということは、そこは「家畜小屋」であったようである。伝承によると、正確には家畜避難用の洞窟であったようであるが、いずれにしても、待ちに待った救い主が誕生するのに、なぜ、王宮でないどころか、人間のベッドでもなく、「飼葉おけ」なのか。
ルカの福音書2章7節に書いてあるように、「宿屋には彼らのいる場所がなかった」からだった。宿屋とは、ギリシャ語ではカタルーマと言い、宿屋や客間、食堂などの意味で、それは「人間様」が利用する場所(場所はギリシャ語でトポス)である。ところが、マリアやヨセフ、イエスらには、それすらなかったというのである。
脚色なく何げなく書かれているが、その理由が何であれ、この地上には「居場所がない」という言葉に、象徴的にもイエスの生涯の鍵や謎が隠されているように思う、つまり、イエス自身には地球上に自らの場所(トポス)がなかった。先ほど述べたように、「人間様」の住む宿屋には神の御子の居場所がなく、家畜小屋の「家畜の餌入れ」(飼葉おけ)で誕生せざるをえなかった。これは、その後のイエスの苦難の人生を象徴しているようである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
私は大人の発達障害だ。
もうすぐ、70にもなるのにこんなじじぃもいるのだ。
エスは「居場所がない」場所で生まれた。
エス自身がユダヤ人であるのに、ユダヤ人に受け入れられず十字架に架けられた。
だが、今イエスの生き方に共感する人々が大勢いる。
私の生涯は何だったのだろう。私にとってイエスを知ったことが救いなのかもしれない。