じじぃの「悪魔と取引きした男・サルトル・実存は本質に先立つ!掌の哲学」

サルトル 実存主義とは何か 第1回 実存は本質に先立つ 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=HkBEL1ONyGM

100分 de 名著 サルトル実存主義とは何か』 2015年11月4日 NHK Eテレ
【司会】伊集院光武内陶子 【語り】小口貴子 【ゲスト講師】海老坂武(フランス文学者)
●第1回 実存は本質に先立つ
人間の本質はあらかじめ決められておらず、実存(現実に存在すること)が先行した存在である。
だからこそ、人間は自ら世界を意味づけ行為を選び取り、自分自身で意味を生み出さなければならない」と高らかに宣言したサルトルの講演は、その後世界中で著作として出版され、戦後を代表する思想として広まっていた。その第1回は、「実存主義とは何か」を読み解き「根源的な不安」への向き合い方を学んでいく。
「人間とは〇〇である」を疑うのが実存主義
人間は自らの決断によって人生を作り上げていかなければならない。
例えば、ペーパーナイフは髪を切る道具としての「本質」が決められており、そこからペーパーナイフは金属などで作られて存在する。一方、人間とペーパーナイフは異なる。人間は真っ白の中から未来に向けて自分で自分を決定する。選んで、存在する。人間においては「実存」が「本質」に先立つ。
●第3回 地獄とは他人のことだ
私は好奇心から鍵穴を覗いている。私はひとりでその行為に没頭している。突然廊下で足音が聞こえた。誰かが私にまなざしを向けている。私はもう鍵穴を覗くことはできない。
私は、他者からまなざしを向けられているかぎり、他者の対象にすぎず、そして、対象であるかぎり、自由が侵害されている。そこで、私は、自由を取り戻すために、対象であることから脱却しなければならない。そのために、今度は、私が他者にまなざしを向け返す必要がある。こうして、私と他者との関係は、まなざしを向けるか、まなざしを向けられるかの緊張した「相克関係」になるというのである。
https://sp.nhk-book.co.jp/text/detail/index.php?webCode=62230562015
『脳みその研究』 阿刀田高/著 文藝春秋 2004年発行
掌の哲学 (一部抜粋しています)
「学生さん、あんた、とってもいい手相をしていますね。さっき拝見しましたよ。チャーミングだねえ」
いい手相というのは、わからないでもないけれど、チャーミングとはいったいどういう手相なのか。黒い男の言いようは、Kの手相が”よい運勢を示している”という単純な意味あいではなく、たとえば、”守銭奴の前に積まれた金貨”あるいは”飢えた犬の前に置かれた肉片”のように、身が震えるほどチャーミングだ、と、そんなふうに感じられ、Kは夜の暗さとあいまって男の台詞がひどく不気味に感じられたらしい。
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医師を訪ねることを勧めようかと考えたとき、近くの席に坐っていた例のフランス人が興味を示した。
身を乗り出し、
「どうして彼の掌は白いのか」
と尋ねた。もちろんフランス語である。私はフランス語で答えた。
「悪魔に売ったから」
と呟くと、彼は頬をゆるめて笑った。ジョークと受け取っているらしい。それから真面目な顔に戻って、
「人の掌の線はなにを意味しますか」
と尋ねる。
「人間の運命や性格を意味します。お金が儲かるか、よい結婚に恵まれるか、立派な人間になれるかどうか、生命の長さまで刻まれています」
「生まれつき、ですか」
「少し変わるって聞いたこともありますけど、だいたいは生まれつきでしょう」
「それが消えて……まっ白になった?」
「はい」
「結構なことです。悪魔の仕わざなんかじゃありませんよ。すばらしい」
と語気を強めた。
「どうして?」
私はこのフランス人も頭がおかしいのではないかと疑った。すると彼は、
「どういう人間か、どういう人生か、初めから決まっているわけじゃない。人間は自分で自分の人生を選ぶんです。まっ白なまま投げ出され、それから自分で自分を決定していきます。いくつもの道がある、自由の道です。そこから自分の道を選んで創っていくんですよ」
”選ぶ”は”ショワジール”という。彼はとりわけ鋭くこの言葉を発した。
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ところどころに”ショワジール”という言葉が強調されている。人間には、神が決定したものとはちがう自由の道がたくさんあって、その中から”ショワジール”するのだ、と人間の本質とこの世界の関わりが主張されていた。
この小冊子は……もうおわかりかもしれない、20世紀の碩学J-P・サルトルだ。
そして、あのとき、ホテルのティールームでコーヒーを飲んでいた学者風のフランス人も、同じ人物ではなかったのか。きっと、そう。いくつかの肖像写真をながめると、似ているようだ。因みに言えば、昭和41年の秋、61歳のサルトルは来日して、あのホテルに宿泊している。私がKと会った頃とみごとに符号している。”ショワジール”はサルトルの哲学を象徴する用語でもある。
Kの掌の筋がなぜ消えてしまったのか。くり返して言うが、私にはわからない。おそらくだれにもわかるまい。悪魔との取引きがKという青年の、ただの夢想であった可能性も皆無ではあるまい。充分にありうる。

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どうでもいい、じじぃの日記。
最近、阿刀田高の短編小説『掌の哲学』を読んだ。
「人の掌の線はなにを意味しますか」
人が生まれ成長し30歳代になった頃の指紋の形は、二度人生をやりなおしても又同じように思える。
サルトルの「実存は本質に先立つ」は有名な言葉だ。
真っ白な掌に線を引くのは自分なのだ、というのは当たり前のようで、神さまがあらかじめ引いた線のようにもみえる。