じじぃの「空間(真空)のエネルギー・無の世界?人類支配者の正体」

14_4真空のエネルギー: Energy of Vaccume 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sFj-QnO9dXg
死後の世界を量子論で科学する 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DNafACDrPfk
『日本人が知らない「人類支配者」の正体』 船井幸雄太田龍/著 ビジネス社 2007年発行
西洋に破壊された日本型文明の復活 (一部抜粋しています)
太田 西洋の自然科学を突き詰めて考えて、創造エネルギーと破壊のエネルギーを極点まで突き詰めると、創造というのは「光」のことです。光には重さがない。質量がありません。
 ハンコックに関すると、考古学の人類学者が南アフリカで研究していたら、非常に沢山の洞窟の絵が描かれていて、しかも19世紀の最近まで描かれていたといいます。ところがヨーロッパでは1万3千年くらい前に洞窟の絵はストップしています。そのことの意味をその学者は少し問題にしているのです。その学者は、洞窟の絵はシャーマニズムの表現だとしています。それを描いたのはシャーマンだと言っています。だから南アフリカではシャーマニズムは最近まで残っているのです。ヨーロッパでは1万3千年くらい前にシャーマニズムは消えてしまっているわけです。その結果、洞窟の絵はなくまってしましました。シャーマニズムというのは、西洋の人類学者がそういう名称をつけやわけですが、本来は自分と宇宙・万物万象との調和、一体。共鳴、共感するというか感応する境地なわけです。ところがヨーロッパでは1万3千年前にそれがなくなってしまったのです。そのことは極めて重要な歴史的事実を表現していると思っています。
 学者はそのようには理解していません。英国その他、ヨーロッパの人類学・考古学者の絶対多数派、南アフリカの学者が言っているように、洞窟の絵がシャーマンの産物だと言っても、証拠がない、単に話をつくっているだけで科学としては認めないと書いているそうです。
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太田 「カタカムナ」の研究をした楢崎皐月先生の業績というのは、もっともっと高く評価されるべきだと思います。彼は、「現象」に対して「潜象」という概念を建てました。現象に対して「潜象」という目で物事を見る、これは昔の日本人がごく普通に身につけていた考え方です。ところが明治以降、西洋化すると、太古から維持されていた日本人の精神構造が失われて、敗戦後、現代に近づくにつれますます失われていったのです。
 ここのところを、ちゃんと意識して回復するように努力することが大切だと思います。楢崎先生の説の要点や「カタカムナ」の文字をどう読むかということに拘(こだわ)る
と、本質が基本的に見えなくなります。問題の本質は、「カタカムナ」の文化と文明をつくった太古の日本人の世界観の本質が「現象に対して潜象」と見るという精神なのです。
 そこで、「潜象」で見るためには何が必要か、どういう教育が必要かということが問題なのです。それが現在の日本人には失われています。「潜象」というのは、100年先とか1000年先とかそういうレベルではないのです。それは何億年とか何十億年とかいう、無限の過去から未来、そういう時間のレベルで現に存在しているもの、現に出没しているような現象を判断し識別する能力なのです。
 楢崎さんは自然科学者であり技術者でしたが、晩年、「潜象」という概念に辿りつきました。「潜象」というのは、宗教とか神さまとかという領域のものとして、いまの日本人は認識しています。しかし楢崎さんは「潜象」を科学の領域で、科学の問題として設定しなければいけないということを唱えました。
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 「潜象」ということを無視して設定される必然性を批判しなければいけません。私は「カタカムナ」を1980年代にずいぶん勉強しましたが、「潜象」というのは「現象」が消えて、「現象」というのは常に消えるから現象なのですが、まったくなくなったのではなくて、それはどこかに潜っている。潜っている場所というのは見えないけれど、どこかに潜っているわけです。潜っている場所はなにかというと、東洋の古代の教えではそれを「無」といったのです。「有」が消えてなくなって「無」に帰る。「無」というか「空間」にはそういう消えたものたちがたくさん充満しているわけです。それは宇宙の空間です。宇宙の空間には非常に多くのものが潜っているのです。
 今の物理学の「素粒子論」では、素粒子が分割されどんどん小さくなっていくと粒子が100億分の1秒くらいでパッと生まれて、パッと消えるというのです。パッと消えてどこへ行くかというと、なくなるのではなく、どこかに潜っているわけです。だから「無」のなかに、そういう非常に多くのものが潜んでいるわけです。
 そういう考えを突き詰めていくと、「先祖崇拝」というものは昔の日本の呪術的な世界観というか考えでした。それは先祖が死んで消えたということではありません。先祖はずうっと存在しています。それは目には見えないけれどどこかに潜んでいると考えないと「先祖崇拝」ということはよくわからないのです。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ちょっと古い本だが、船井幸雄太田龍の対談の書 『日本人が知らない「人類支配者」の正体』を読んでいたら「潜象」というのが出てきた。
「潜象」というのは「現象」が消えて、「現象」というのは常に消えるから現象なのですが、まったくなくなったのではなくて、それはどこかに潜っている。潜っている場所というのは見えないけれど、どこかに潜っているわけです。
「真空のエネルギー」という言葉がある。
この真空エネルギーは「宇宙定数(宇宙項)」とも言われているが、大きな潜在的エネルギーを持つものらしい。
「潜象エネルギー」=真空エネルギーのようでもある。